【海外旅行】2003年南西フランスロマネスク紀行19日間(1/28)
2003年といえば21年前の話。ずいぶん昔の事ですが、私75歳、妻74歳、未だ杖はついていない頃のことです。例によって「ほあぐら&とりゅふ夫妻」とのレンタカードライブ4人旅です。もう忘却の彼方ですが、写真アルバムが2冊と旅行メモがあるので、それをたよりに旅を再構成してみます。
「ロマネスク教会」を訪ねる旅なので、写真集のようになりますが、ご容赦下さい。超長編です。
なお、「教会建築、彫刻、フレスコ画」などは芸術作品なので、挿絵は写真のママとします。遠景やその他の建造物やスナップ写真はできるだけ、私の拙い腕ですが、iPadを使用した「絵」にする予定です。ご了承ください。
宿泊地を示した地図です。最終地点「パリ」は宿泊料が高いので郊外の「ヴェルサイユ」宿泊です。
航空券は「JAL悟空」:成田→パリ→ツールーズ/パリ→成田:@¥149,500。会員割引き5%:-¥7,475。成田空港施設使用料:¥2,040。海外航空税フランス¥5,100+航空保健¥780。合計@¥149.945。2人で¥299,890。(みずほ銀行のバリュープログラムトラベルサービスを利用)。ホテルはほあぐらさんが「日本旅行」を通じて予約。支払はそれぞれ現地で……
ほあぐら夫妻は、10月1日成田発で先行。私たちは10月8日成田発で、フランス・ツールーズ空港で合流という段取り。
例によって私共は前日成田前泊です。
【第0日】2003年10月7日(火) 小平→成田
小平自宅、14:00自家用車「セフィーロワゴン」で出発。「ホテル日航ウインズ成田」に宿泊(¥11,550)
【第1日】2003年10月8日(水) 成田→パリ→ツールーズ→ヴィルヌーヴ・ド・リヴィエール泊
朝ホテルチェックアウト。「Jパーキング(¥8,295)」に車を預け。空港ターミナルへ……JL405便10:40発でパリ16:10着。乗り継ぎAF7788便18:30発でツールーズ19:30着。無事「ほあぐら夫妻」と合流。既に借りてあるレンタカー(オペル)に私をエキストラドライバー登録をして……出発、南西へ100キロ……
◎「サンゴーダン(St-Gaudens)」近くの 「ヴィルヌーヴ・ド・リヴィエール(Villeneuve de Rivier)」の「ホステレリ・デ・セドレ(Hostellerie des Cedres)」に宿泊。2泊。16号室。
【第2日】2003年10月9日(木) ヴィルヌーヴ・ド・リヴィエール滞在
6:50起床。朝食後。9:00出発。東へ43キロ……
●10:00~10:45 「モンゴーシュ(Montgauch」の「サンピエール教会(Eglise St-Pierre)」:アリエージュ県クズランにあるモンゴーのコミューンにあるロマネスク教会。12 世紀。
◎外観(写真はウィキメディアFile:EgliseRomane StPierre Montgauch.JPGより)
◎祭室壁画:1957年に発見された壁画。
◎ココでEVCで来た時に会った鍵番の小母さんと記念撮影。
◎ロマネスク彫刻断片(人の顔?):
◎入口脇の柱頭彫刻:
東へ50キロ……
●11:40~12:00「フォア(Foix)」:アリエージュ県のコミューンで、同県の県庁所在地。トゥールーズの南80kmほどのところにある。中世に建てられたフォワ城、壁画の残る洞窟などがあり、歴史がある町である。
◎城:
◎サン・ヴォルジャン教会 (Eglise St-Volusien):12世紀。翼廊のある 3 つの身廊を持つ教会。 14 世紀には、ロマネスク様式の後陣が多角形の聖歌隊席に置き換えられました。
◎外観
◎柱頭:
◎12:45~14:10:昼食:
東南東へ33キロ……
●14:20~16:00:モンセギュール(Montségur (Le Chateau):フランス南西部のアリエージュ県にあるコミューンです。カタリ派最後の拠点の 1 つであるポグ (山) の遺跡に建てられた要塞、モンセギュール城で有名です。
注)カタリ派(カタリは、Cathares):10世紀半ばに現れ、フランス南部とイタリア北部で活発となったキリスト教色を帯びた民衆運動。カタリ派運動のそもそもの起源は、当時のカトリック教会の聖職者の汚職や堕落に反対する民衆運動であったと思われる。シャルー教会会議(1028年)およびトゥールーズ教会会議(1056年)においてカタリ派は正式に異端であると宣言された。1244年、カタリ派の最後の砦であったモンセギュールが陥落し、立て篭っていた多くのカタリ派信者が改宗を拒んで火刑に処せられた。
◎城:この遺跡は、カタリ派の拠点が破壊された場所です。この場所にある現在の要塞は、「カタリ派の城」の 1 つとして説明されていますが、実際には後の時代に建てられたものだそうです。
注)モンセギュールは、1990年に妻と2人で訪れたことがありましたが、その時は登りませんでした。参照)【海外旅行】ブルターニュ旅日記(7/9)
南ですが西から回り込んで56キロ……
●17:30~18:00:「ユナック(Unac )」の「サンマルタン教会(Eglise St-Martin)」:オクシタニー地域圏のアリエージュ県ユナックにあります。
この壮大なロマネスク様式の教会は、ガリア人の使徒である聖マルティンに捧げられており、その歴史はカール大帝の時代にまで遡ります。保存状態と装飾の豊かさの両方の点で、アリエージュ ロマネスク建築の宝石と言えます。
◎外観:(写真はウィキメディアFile:Eglise St Martin d'Unac.JPGより)
◎身廊祭室:
◎柱頭:
西へ130キロ戻って……ヴィルヌーヴ・ド・リヴィエールのホテルに帰る。
この日終わり……
「ロマネスク教会」を訪ねる旅なので、写真集のようになりますが、ご容赦下さい。超長編です。
なお、「教会建築、彫刻、フレスコ画」などは芸術作品なので、挿絵は写真のママとします。遠景やその他の建造物やスナップ写真はできるだけ、私の拙い腕ですが、iPadを使用した「絵」にする予定です。ご了承ください。
宿泊地を示した地図です。最終地点「パリ」は宿泊料が高いので郊外の「ヴェルサイユ」宿泊です。
航空券は「JAL悟空」:成田→パリ→ツールーズ/パリ→成田:@¥149,500。会員割引き5%:-¥7,475。成田空港施設使用料:¥2,040。海外航空税フランス¥5,100+航空保健¥780。合計@¥149.945。2人で¥299,890。(みずほ銀行のバリュープログラムトラベルサービスを利用)。ホテルはほあぐらさんが「日本旅行」を通じて予約。支払はそれぞれ現地で……
ほあぐら夫妻は、10月1日成田発で先行。私たちは10月8日成田発で、フランス・ツールーズ空港で合流という段取り。
例によって私共は前日成田前泊です。
【第0日】2003年10月7日(火) 小平→成田
小平自宅、14:00自家用車「セフィーロワゴン」で出発。「ホテル日航ウインズ成田」に宿泊(¥11,550)
【第1日】2003年10月8日(水) 成田→パリ→ツールーズ→ヴィルヌーヴ・ド・リヴィエール泊
朝ホテルチェックアウト。「Jパーキング(¥8,295)」に車を預け。空港ターミナルへ……JL405便10:40発でパリ16:10着。乗り継ぎAF7788便18:30発でツールーズ19:30着。無事「ほあぐら夫妻」と合流。既に借りてあるレンタカー(オペル)に私をエキストラドライバー登録をして……出発、南西へ100キロ……
◎「サンゴーダン(St-Gaudens)」近くの 「ヴィルヌーヴ・ド・リヴィエール(Villeneuve de Rivier)」の「ホステレリ・デ・セドレ(Hostellerie des Cedres)」に宿泊。2泊。16号室。
【第2日】2003年10月9日(木) ヴィルヌーヴ・ド・リヴィエール滞在
6:50起床。朝食後。9:00出発。東へ43キロ……
●10:00~10:45 「モンゴーシュ(Montgauch」の「サンピエール教会(Eglise St-Pierre)」:アリエージュ県クズランにあるモンゴーのコミューンにあるロマネスク教会。12 世紀。
◎外観(写真はウィキメディアFile:EgliseRomane StPierre Montgauch.JPGより)
◎祭室壁画:1957年に発見された壁画。
◎ココでEVCで来た時に会った鍵番の小母さんと記念撮影。
◎ロマネスク彫刻断片(人の顔?):
◎入口脇の柱頭彫刻:
東へ50キロ……
●11:40~12:00「フォア(Foix)」:アリエージュ県のコミューンで、同県の県庁所在地。トゥールーズの南80kmほどのところにある。中世に建てられたフォワ城、壁画の残る洞窟などがあり、歴史がある町である。
◎城:
◎サン・ヴォルジャン教会 (Eglise St-Volusien):12世紀。翼廊のある 3 つの身廊を持つ教会。 14 世紀には、ロマネスク様式の後陣が多角形の聖歌隊席に置き換えられました。
◎外観
◎柱頭:
◎12:45~14:10:昼食:
東南東へ33キロ……
●14:20~16:00:モンセギュール(Montségur (Le Chateau):フランス南西部のアリエージュ県にあるコミューンです。カタリ派最後の拠点の 1 つであるポグ (山) の遺跡に建てられた要塞、モンセギュール城で有名です。
注)カタリ派(カタリは、Cathares):10世紀半ばに現れ、フランス南部とイタリア北部で活発となったキリスト教色を帯びた民衆運動。カタリ派運動のそもそもの起源は、当時のカトリック教会の聖職者の汚職や堕落に反対する民衆運動であったと思われる。シャルー教会会議(1028年)およびトゥールーズ教会会議(1056年)においてカタリ派は正式に異端であると宣言された。1244年、カタリ派の最後の砦であったモンセギュールが陥落し、立て篭っていた多くのカタリ派信者が改宗を拒んで火刑に処せられた。
◎城:この遺跡は、カタリ派の拠点が破壊された場所です。この場所にある現在の要塞は、「カタリ派の城」の 1 つとして説明されていますが、実際には後の時代に建てられたものだそうです。
注)モンセギュールは、1990年に妻と2人で訪れたことがありましたが、その時は登りませんでした。参照)【海外旅行】ブルターニュ旅日記(7/9)
南ですが西から回り込んで56キロ……
●17:30~18:00:「ユナック(Unac )」の「サンマルタン教会(Eglise St-Martin)」:オクシタニー地域圏のアリエージュ県ユナックにあります。
この壮大なロマネスク様式の教会は、ガリア人の使徒である聖マルティンに捧げられており、その歴史はカール大帝の時代にまで遡ります。保存状態と装飾の豊かさの両方の点で、アリエージュ ロマネスク建築の宝石と言えます。
◎外観:(写真はウィキメディアFile:Eglise St Martin d'Unac.JPGより)
◎身廊祭室:
◎柱頭:
西へ130キロ戻って……ヴィルヌーヴ・ド・リヴィエールのホテルに帰る。
この日終わり……
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