【海外旅行】1998年10月フランス中央ロマネスク13日間+パリ5日間(1/14)
イラクやシリヤ・レバノンなどアラブ諸国という特殊な地域への旅行でお馴染みになった「EVC」という小さな旅行社が、初めて「フランスのロマネスク」をやるというので、何ヶ所か既に訪れたところもありますが、私の主義として2度訪れるのを価値ありとしていることもあり。自主旅行と違った気楽さもあるので、参加を決めました。添乗員もおなじみの「山中」さんです。山中さんとはこの後数回「ロマネスク」の旅を共にしています。
パック旅行タイトルは「EVCフランス中央ロマネスク芸術とプチ古都めぐり13日間」。旅行代金@¥598,000。参加者15名。添乗員1名。欲張って私達夫婦だけ最後パリ5泊を追加して18日間の旅になっています。1998年10月3日(土)から10月20日(火)まで。私70歳、妻71歳と元気なときです。
本格的に「ロマネスク」を勉強しているのは、私たち夫婦とあと男性一人(H氏)のみだったので、皆さんに解説したりして、サブリーダーにような立場になりました。終了後。我が家で焼き付けた写真を多数枚皆さんに送ってあげて喜んでもらいました。(暗い教会内で、三脚を立てて、露出時間をかけて、フラッシュなしでとった写真はキレイです)
この旅もあまりメモが残っていないので、写真集のようになるかも……
◎私に写真アルバムの第1ページ:
◎全行程図:赤文字のところが宿泊地。写真アルバムから転載。
【第0日】1998年10月2日(金) 小平自宅→成田泊
例によって「成田ビューホテル」に前泊。2週間駐車代無料。超過1日¥2,000。
【第1日】1998年10月3日(土) 成田→パリ→ランス(Reims)泊 日出5:37(東京) 日没19:26(パリ) レートFF1=¥25。
「成田ビューホテル」の朝です。所持金確認:円(私¥50,000、妻¥22,000)。フランスフランFF91.15(キャッシュ)FF2,000(TC)。米ドル$200.00 。……内胴巻きへ¥68,000+$200.00。
朝食は、昨日空港コンビニで仕入れた「おむすび」で済ませる。11:20チェックアウト。宿泊代金¥15,762。11:35 ホテルシャトルバスで成田空港第2ターミナルへ、12:00 3階出発ロビーH&Iカウンター前集合。チェックイン後出発まで自由行動。昼食:構内喫茶店でクロワッサンのサンドイッチ¥900+コーヒー¥400×2。旅行中の読みものとして「週刊文春」「週刊新潮」「文庫本2冊」、そして恒例の日本酒一合パック10個¥2,200。
13:55発が、14:30テイクオフ。日本航空JL415便、シベリア上空経由直行パリ行き。映画「シティ・オブ・エンジェル」「ドリトル先生」機内昼食、夕食。太陽を追いかけて、ズーッと夕刻の空を飛んでいるみたい。シベリヤでは、はや、ところどころ雪が積もっています。時差7時間。19:10着予定が、19:25、シャルル・ド・ゴール空港着。計算日没時刻に同じ。所要時間:約12時間です。
バゲージトラルブルも無く、入国手続きを終え、皆さん両替窓口に並びます。この時アクシデントが……添乗員「山中」さんが手続きの世話をしている隙に、「手提げバッグ」を「置き引き」に盗まれました。バッグには帰りの航空券や、これから泊まるホテルのクーポンなどが入っているので、さあ大変……と思いましたが、こういうパック旅行は、皆現地の旅行社が下請け手配しているので、再発行などの手続きすべて「現地旅行社」がカバーしたようで何の不便もありませんでした。勿論、添乗員はその他の参考書類など一切なくしたので、ちょっと大変だったと思います。
さて今夜は空港から専用バスで、パリへはよらず、一路約130キロ東の「ランス(Reims)」の「メルキュール・コルモントリュィ(MERCURE CORMONTREUIL)」まで走ります。20:50~23:00。301号室。入浴して、長い一日を終える。(24:00は日本時刻で翌朝の7時)。
【第2日】1998年10月4日(日) ランス→シャロン・アン・シャンパーニュ→ヴィニョリ→ラングル→ディジョン泊 日出7:48(ランス) 日没19:14(ディジョン) レートFF1=¥25。
「ランス」の「メルキュール・コルモントリュィ」の朝です。モーニングコール(MC):なし、朝食(BF):7:30、バゲージアウト(BO):8:30。
出発:9:00。
◎ランス(Reims):フランス北部にあるグラン・テスト地域圏・マルヌ県の市。人口は約18万人規模(2013年)の都市であり、フランスでは12番目に大きい。 かつてフランス歴代国王の聖別戴冠式が行われた「ノートルダム大聖堂」が所在する。「戴冠の都市(la cité des sacres)」または「王たちの都市(la cité des rois)」とも呼ばれる。 また、数多くの有名なシャンパン・メゾン(メーカー)が拠点を置いている。由緒ある都市の地下には、総延長120キロに及ぶワイン貯蔵庫・カーヴが縦横に張り巡らされているなど、シャンパン醸造の一大中心地でもある。街のランドマークとなる、ノートルダム大聖堂、トー宮殿、サン・レミ聖堂などは、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
◎サン=レミ聖堂 (Basilique Saint-Remi) :1000年頃に建造されたバシリカ式教会堂である。世界遺産としての登録名は「サン=レミ旧大修道院」。ロマネスク様式の身廊と翼廊は、この教会で最も古いものである。ただし、翼廊の南のファサードは一番時代が新しい。内陣と後陣は12世紀から13世紀にかけて作られたものである。9:30~10:00。
写真はウィキメディアより
◎ランス・ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Reims):カトリックの大聖堂。1211年5月6日に建造が開始され、一時作業が中断したが、14世紀には未完成だった西側も完成した。ただし、ファサード部は建設が遅れ、2つの鐘塔は南側が1445年、北側が1475年にようやく完成を見た。
816年にルイ1世が初めて戴冠式を行ってから、1825年のシャルル10世に至るまで、32人(現在の12世紀の建物では25人)の王が現大聖堂で聖別を受けた。大聖堂で戴冠式を行った王には、15世紀ジャンヌ・ダルクに連れられて聖別を受けに来たシャルル7世や、ルイ13世、ルイ14世、ルイ16世などがいる。10:30~11:30。写真はウィキメディア:File:Facade de la Cathédrale de Reims - Parvis.jpgより。
◎微笑みの天使(File:Ange au sourire):ランス大聖堂のポータル、13 世紀、西ファサードの左ポータルの左側面(ゴシック)。写真はウィキメディア:File:Ange au sourire.jpgより。
◎フジタ礼拝堂 (フジタれいはいどう、Chapelle Foujita)チャペル・平和の聖母(Chapelle Notre-Dame de la Paix)1966:日本人画家の藤田嗣治 (レオナール・フジタ; 1886-1968) がG.H.マムの社長で代父でもある友人ルネ・ラルー (1877-1973)とともに、マルヌ県(シャンパーニュ=アルデンヌ地域)ランスのG.H.マム社の敷地内に建てたロマネスク様式の礼拝堂である。壁画(フレスコ画)、ステンドグラスなどを含み、藤田がすべて設計した。フジタ礼拝堂には、藤田と君代夫人の遺骨が埋葬されている。(ウィキペディア):11:50~12:10。
1995年の旅の時、閉鎖されていて外部のみの拝観でしたが、今回は内部に入れました。
参照)1995年フランスオーストリア27日間の旅
◎外観:
◎内部:
◎フジタのフレスコ画:十字架を運ぶ(Le Portement de Croix):エハガキ
◎フジタのフレスコ画:足を洗う(Le lavement des pieds):エハガキ
◎フジタのフレスコ画:キリスト降誕(La Nativité):エハガキ
◎フジタのフレスコ画:主の晩餐(La Cène):エハガキ
この日つづく……
パック旅行タイトルは「EVCフランス中央ロマネスク芸術とプチ古都めぐり13日間」。旅行代金@¥598,000。参加者15名。添乗員1名。欲張って私達夫婦だけ最後パリ5泊を追加して18日間の旅になっています。1998年10月3日(土)から10月20日(火)まで。私70歳、妻71歳と元気なときです。
本格的に「ロマネスク」を勉強しているのは、私たち夫婦とあと男性一人(H氏)のみだったので、皆さんに解説したりして、サブリーダーにような立場になりました。終了後。我が家で焼き付けた写真を多数枚皆さんに送ってあげて喜んでもらいました。(暗い教会内で、三脚を立てて、露出時間をかけて、フラッシュなしでとった写真はキレイです)
この旅もあまりメモが残っていないので、写真集のようになるかも……
◎私に写真アルバムの第1ページ:
◎全行程図:赤文字のところが宿泊地。写真アルバムから転載。
【第0日】1998年10月2日(金) 小平自宅→成田泊
例によって「成田ビューホテル」に前泊。2週間駐車代無料。超過1日¥2,000。
【第1日】1998年10月3日(土) 成田→パリ→ランス(Reims)泊 日出5:37(東京) 日没19:26(パリ) レートFF1=¥25。
「成田ビューホテル」の朝です。所持金確認:円(私¥50,000、妻¥22,000)。フランスフランFF91.15(キャッシュ)FF2,000(TC)。米ドル$200.00 。……内胴巻きへ¥68,000+$200.00。
朝食は、昨日空港コンビニで仕入れた「おむすび」で済ませる。11:20チェックアウト。宿泊代金¥15,762。11:35 ホテルシャトルバスで成田空港第2ターミナルへ、12:00 3階出発ロビーH&Iカウンター前集合。チェックイン後出発まで自由行動。昼食:構内喫茶店でクロワッサンのサンドイッチ¥900+コーヒー¥400×2。旅行中の読みものとして「週刊文春」「週刊新潮」「文庫本2冊」、そして恒例の日本酒一合パック10個¥2,200。
13:55発が、14:30テイクオフ。日本航空JL415便、シベリア上空経由直行パリ行き。映画「シティ・オブ・エンジェル」「ドリトル先生」機内昼食、夕食。太陽を追いかけて、ズーッと夕刻の空を飛んでいるみたい。シベリヤでは、はや、ところどころ雪が積もっています。時差7時間。19:10着予定が、19:25、シャルル・ド・ゴール空港着。計算日没時刻に同じ。所要時間:約12時間です。
バゲージトラルブルも無く、入国手続きを終え、皆さん両替窓口に並びます。この時アクシデントが……添乗員「山中」さんが手続きの世話をしている隙に、「手提げバッグ」を「置き引き」に盗まれました。バッグには帰りの航空券や、これから泊まるホテルのクーポンなどが入っているので、さあ大変……と思いましたが、こういうパック旅行は、皆現地の旅行社が下請け手配しているので、再発行などの手続きすべて「現地旅行社」がカバーしたようで何の不便もありませんでした。勿論、添乗員はその他の参考書類など一切なくしたので、ちょっと大変だったと思います。
さて今夜は空港から専用バスで、パリへはよらず、一路約130キロ東の「ランス(Reims)」の「メルキュール・コルモントリュィ(MERCURE CORMONTREUIL)」まで走ります。20:50~23:00。301号室。入浴して、長い一日を終える。(24:00は日本時刻で翌朝の7時)。
【第2日】1998年10月4日(日) ランス→シャロン・アン・シャンパーニュ→ヴィニョリ→ラングル→ディジョン泊 日出7:48(ランス) 日没19:14(ディジョン) レートFF1=¥25。
「ランス」の「メルキュール・コルモントリュィ」の朝です。モーニングコール(MC):なし、朝食(BF):7:30、バゲージアウト(BO):8:30。
出発:9:00。
◎ランス(Reims):フランス北部にあるグラン・テスト地域圏・マルヌ県の市。人口は約18万人規模(2013年)の都市であり、フランスでは12番目に大きい。 かつてフランス歴代国王の聖別戴冠式が行われた「ノートルダム大聖堂」が所在する。「戴冠の都市(la cité des sacres)」または「王たちの都市(la cité des rois)」とも呼ばれる。 また、数多くの有名なシャンパン・メゾン(メーカー)が拠点を置いている。由緒ある都市の地下には、総延長120キロに及ぶワイン貯蔵庫・カーヴが縦横に張り巡らされているなど、シャンパン醸造の一大中心地でもある。街のランドマークとなる、ノートルダム大聖堂、トー宮殿、サン・レミ聖堂などは、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
◎サン=レミ聖堂 (Basilique Saint-Remi) :1000年頃に建造されたバシリカ式教会堂である。世界遺産としての登録名は「サン=レミ旧大修道院」。ロマネスク様式の身廊と翼廊は、この教会で最も古いものである。ただし、翼廊の南のファサードは一番時代が新しい。内陣と後陣は12世紀から13世紀にかけて作られたものである。9:30~10:00。
写真はウィキメディアより
◎ランス・ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Reims):カトリックの大聖堂。1211年5月6日に建造が開始され、一時作業が中断したが、14世紀には未完成だった西側も完成した。ただし、ファサード部は建設が遅れ、2つの鐘塔は南側が1445年、北側が1475年にようやく完成を見た。
816年にルイ1世が初めて戴冠式を行ってから、1825年のシャルル10世に至るまで、32人(現在の12世紀の建物では25人)の王が現大聖堂で聖別を受けた。大聖堂で戴冠式を行った王には、15世紀ジャンヌ・ダルクに連れられて聖別を受けに来たシャルル7世や、ルイ13世、ルイ14世、ルイ16世などがいる。10:30~11:30。写真はウィキメディア:File:Facade de la Cathédrale de Reims - Parvis.jpgより。
◎微笑みの天使(File:Ange au sourire):ランス大聖堂のポータル、13 世紀、西ファサードの左ポータルの左側面(ゴシック)。写真はウィキメディア:File:Ange au sourire.jpgより。
◎フジタ礼拝堂 (フジタれいはいどう、Chapelle Foujita)チャペル・平和の聖母(Chapelle Notre-Dame de la Paix)1966:日本人画家の藤田嗣治 (レオナール・フジタ; 1886-1968) がG.H.マムの社長で代父でもある友人ルネ・ラルー (1877-1973)とともに、マルヌ県(シャンパーニュ=アルデンヌ地域)ランスのG.H.マム社の敷地内に建てたロマネスク様式の礼拝堂である。壁画(フレスコ画)、ステンドグラスなどを含み、藤田がすべて設計した。フジタ礼拝堂には、藤田と君代夫人の遺骨が埋葬されている。(ウィキペディア):11:50~12:10。
1995年の旅の時、閉鎖されていて外部のみの拝観でしたが、今回は内部に入れました。
参照)1995年フランスオーストリア27日間の旅
◎外観:
◎内部:
◎フジタのフレスコ画:十字架を運ぶ(Le Portement de Croix):エハガキ
◎フジタのフレスコ画:足を洗う(Le lavement des pieds):エハガキ
◎フジタのフレスコ画:キリスト降誕(La Nativité):エハガキ
◎フジタのフレスコ画:主の晩餐(La Cène):エハガキ
この日つづく……
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