【海外旅行】1992年5月中国・花の江南旅情8日間(5/7)
【第5日】5月13日(水) 揚州→南京泊 レート:¥25/元。
「揚州賓館」の朝です。MC:6:45、BO&BF:7:30、出発:8:30。
◎揚州」(ようしゅう):中国の長江下流の商業都市。大運河の南端に当たり、隋の煬帝が離宮を置いた。明・清では塩商の拠点として栄えた。
◎痩西湖(そうせいこ):揚州市北西に広がる、風光明媚な人口湖。杭州の西湖にちなんで名づけられたが、西湖より小さいので「痩西湖」と呼ばれ、湖水は市内の川へと流れ込む。この一帯は痩西湖公園という揚州一の景勝地で、西湖と並ぶ江南地方の名勝であり、24景で有名。国家AAAA級の観光地に指定されている。清の乾隆帝が揚州に巡幸した際に、釣り糸を垂れたという釣魚台もある。痩西湖を正門から入ってしばらく行くと、川に沿って柳並木が続く気持ちの良い散歩道になります。ここが「長堤春柳」といわれる地域で、道の両側に柳の木が揺れ、気持ちの良い通りです。春には桃の花が咲くのもこのあたりです。
◎長堤春柳(ちょうていしゅんりゅう):中国清の時代に痩西湖の二十四景のひとつである。長堤には三歩ごとに桃の木一本、五歩ごとに柳の木一本、煙花3月のたびに、桃が争い合い、観光客の心を奪われるほどの美しいところである。
◎釣魚台(ちょうぎょだい):釣魚台という名の建物は中国には沢山あります。揚州、痩西湖の釣魚台は最も小さい部類に入りますが、その形は、中国の亭閣建築の模範とされています。釣魚台はそもそも音楽が演奏される場所として建てられたものです。が、釣魚台と名づけられたのには、次のような逸話があるからです。乾隆帝がここに来た時、いきなり釣りをしたいと言い出し釣りを始めたのですが、何時間たっても、魚が釣れなかったようです。揚州の塩商人や塩役人たちはこれは一大事と、地元の漁師を水中に潜らせて、皇帝が垂れる釣り針に魚を取り付けたそうです。何も知らない乾隆帝は、次々と釣れる魚に上機嫌になり、この場所が好きになったという逸話です。何でもありの究極のゴマすりです。その逸話が事実がどうかは知りませんが、乾隆帝がお気に召したその釣魚台からちょうど良く見えるように建てられたのが五亭橋です。
◎五亭橋(ごていきょう)(Wuting Bridge);痩西湖水道の上にあり、揚州市のランドマーク建築の一つ、中国古代十大名橋の一つで「中国で最も美しい橋」と呼ばれています。清の乾隆帝の南巡にあわせ建てられたもので、二百年以上の歴史があります。
◎生活風景:鶏のようなものを洗っている:
◎大明寺(だいめいじ): 南北朝の宋時代、大明年間(457年から464年)に創建された仏教寺院。唐の天宝元年(742年)、日本へ仏法や戒律を伝えた高僧「鑑真」が住職となっていたことで知られる。
注)鑑真(がんじん)」[688~763]奈良時代の渡来僧。日本の律宗の祖。中国揚州(江蘇省)の人。渡日を志して五度失敗し、その間に失明したが、天平勝宝5年(753)来日。東大寺に初めて戒壇を設け、聖武上皇らの帰依を受け、唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建して戒律の根本道場とした。大僧都(だいそうず)となり、大和上(だいわじょう)の号を受けた。渡来の事情は唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)に詳しい。
◎大明寺標識:江蘇省文物保護単位 大明寺 鑑真記念堂 揚州市人民政府立
◎鑑真記念堂掲額:
◎記念堂:
◎鑑真和上像:
夕刻、バスで南京市へ……。「南京飯店」チェックイン。Y&A:381号室、K&T:382、N:383。
この日終わり。
「揚州賓館」の朝です。MC:6:45、BO&BF:7:30、出発:8:30。
◎揚州」(ようしゅう):中国の長江下流の商業都市。大運河の南端に当たり、隋の煬帝が離宮を置いた。明・清では塩商の拠点として栄えた。
◎痩西湖(そうせいこ):揚州市北西に広がる、風光明媚な人口湖。杭州の西湖にちなんで名づけられたが、西湖より小さいので「痩西湖」と呼ばれ、湖水は市内の川へと流れ込む。この一帯は痩西湖公園という揚州一の景勝地で、西湖と並ぶ江南地方の名勝であり、24景で有名。国家AAAA級の観光地に指定されている。清の乾隆帝が揚州に巡幸した際に、釣り糸を垂れたという釣魚台もある。痩西湖を正門から入ってしばらく行くと、川に沿って柳並木が続く気持ちの良い散歩道になります。ここが「長堤春柳」といわれる地域で、道の両側に柳の木が揺れ、気持ちの良い通りです。春には桃の花が咲くのもこのあたりです。
◎長堤春柳(ちょうていしゅんりゅう):中国清の時代に痩西湖の二十四景のひとつである。長堤には三歩ごとに桃の木一本、五歩ごとに柳の木一本、煙花3月のたびに、桃が争い合い、観光客の心を奪われるほどの美しいところである。
◎釣魚台(ちょうぎょだい):釣魚台という名の建物は中国には沢山あります。揚州、痩西湖の釣魚台は最も小さい部類に入りますが、その形は、中国の亭閣建築の模範とされています。釣魚台はそもそも音楽が演奏される場所として建てられたものです。が、釣魚台と名づけられたのには、次のような逸話があるからです。乾隆帝がここに来た時、いきなり釣りをしたいと言い出し釣りを始めたのですが、何時間たっても、魚が釣れなかったようです。揚州の塩商人や塩役人たちはこれは一大事と、地元の漁師を水中に潜らせて、皇帝が垂れる釣り針に魚を取り付けたそうです。何も知らない乾隆帝は、次々と釣れる魚に上機嫌になり、この場所が好きになったという逸話です。何でもありの究極のゴマすりです。その逸話が事実がどうかは知りませんが、乾隆帝がお気に召したその釣魚台からちょうど良く見えるように建てられたのが五亭橋です。
◎五亭橋(ごていきょう)(Wuting Bridge);痩西湖水道の上にあり、揚州市のランドマーク建築の一つ、中国古代十大名橋の一つで「中国で最も美しい橋」と呼ばれています。清の乾隆帝の南巡にあわせ建てられたもので、二百年以上の歴史があります。
◎生活風景:鶏のようなものを洗っている:
◎大明寺(だいめいじ): 南北朝の宋時代、大明年間(457年から464年)に創建された仏教寺院。唐の天宝元年(742年)、日本へ仏法や戒律を伝えた高僧「鑑真」が住職となっていたことで知られる。
注)鑑真(がんじん)」[688~763]奈良時代の渡来僧。日本の律宗の祖。中国揚州(江蘇省)の人。渡日を志して五度失敗し、その間に失明したが、天平勝宝5年(753)来日。東大寺に初めて戒壇を設け、聖武上皇らの帰依を受け、唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建して戒律の根本道場とした。大僧都(だいそうず)となり、大和上(だいわじょう)の号を受けた。渡来の事情は唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)に詳しい。
◎大明寺標識:江蘇省文物保護単位 大明寺 鑑真記念堂 揚州市人民政府立
◎鑑真記念堂掲額:
◎記念堂:
◎鑑真和上像:
夕刻、バスで南京市へ……。「南京飯店」チェックイン。Y&A:381号室、K&T:382、N:383。
この日終わり。
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