【海外旅行】1992年5月中国・花の江南旅情8日間(4/7)
【第4日】5月12日(火) 鎮江→揚州泊 レート:¥25/元。
鎮江の「金山飯店」の朝です。
◎鎮江市(ちんこうし);江蘇省に位置する地級市。古くから商業都市として発達した国家歴史文化名城である。
◎焦山(しょうざん)/定慧寺(じょうけいじ):長江に浮かぶ高さ70.7m、周囲約2kmの焦山。後漢の興平元年(194年)の創建で、当時は「普済庵」と称した。北宋の元祐年間(1086年-1094年)、蘇軾(蘇東坡)の友の仏印が寺衆の推戴を受けて住持となった。「普済禅院」と改称。元代に「焦山寺」と改称。明の宣徳年間(1426年-1435年)は大雄宝殿を再建した。清の康熙42年(1703年)、康熙帝が南遊して「定慧寺」の名を賜ります。
注)蘇軾(そ しょく、1036年- 1101年)は、中国北宋の政治家、文豪、書家、画家。政治家としての活躍の他、宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。文学以外では、書家、画家として優れ、音楽にも通じた。号は蘇東坡(そとうば)。
◎渡し場:
◎定慧寺額:
◎定慧寺ゆかりの人(蘇東坡?)像:
◎定慧寺本堂・大雄宝殿:
◎北固山(ほくこざん)公園・甘露寺(かんろじ):甘露寺は呉の五鳳3年(256年)に建立された。長江の畔に位置する江蘇省鎮江の北固山は、三国志ゆかりの山である。孫権の妹・孫尚香と劉備の結婚により孫権と劉備が親戚関係を結んだ物語で知られ、古くから多くの文人墨客が訪れて数々の詩を詠んでいる。劉備が孫尚香と結婚するために北固山の甘露寺にやってきたとき、長江の畔に北固山が勇ましくそびえ立っている姿を見て、思わず「ここは天下第一の江山だ」と賛嘆の声をあげたという。
◎天下第一江山:
◎三国志ゆかりの絵画?:
◎北固山にある精暉亭(せいきてい)と鉄塔:唐の宝暦元年(825年)、浙江西道観察使の李徳裕は鉄塔を増築した。
◎北固山にある「阿倍野仲麻呂(あべのなかまろ)歌碑」:
翹首望東天 首を翹(あ)げて東天を望めば
神馳奈良邊 神(こころ)は馳す 奈良の辺
三笠山頂上 三笠山頂の上
思又皎月圓 思ふ 又た皎月(きょうげつ)の円(まどか)なるを
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
注)阿倍 仲麻呂(あべ の なかまろ、文武天皇2年〈698年〉- 宝亀元年〈770年〉1月);奈良時代の遣唐留学生。姓は朝臣。筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫。中務大輔・阿倍船守の長男。弟に阿倍帯麻呂がいる。唐名を「朝衡/晁衡」(ちょうこう)とする。唐で国家の試験に合格または推挙で登用され、唐朝において諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果たせずに唐で客死した。(ウィキペディア)
◎金山寺:東晋代(317~420年)の創建です。雪舟は2度この寺を訪ねています。:写真はウィキメディア:File:金山寺 - panoramio - Tiger@西北 (2).jpgより
午後、フェリーとバスで「揚州(ようしゅう)」へ……14:30「揚州賓館」チェックイン。Y&A:306号室、K&T:308号室、N:310号室。18:00迄自由行動。
◎揚州博物館:新石器時代からの貴重な文化遺物、揚州八奇人の本物の書道や絵画、彫刻版などを見ることができます。:入場料:@8角。輪タク(2人乗り3台)@3元×3。残念ながら資料・写真等見当たりません。
◎夕食時の飲料:74元。ビールか?
この日終わり。
鎮江の「金山飯店」の朝です。
◎鎮江市(ちんこうし);江蘇省に位置する地級市。古くから商業都市として発達した国家歴史文化名城である。
◎焦山(しょうざん)/定慧寺(じょうけいじ):長江に浮かぶ高さ70.7m、周囲約2kmの焦山。後漢の興平元年(194年)の創建で、当時は「普済庵」と称した。北宋の元祐年間(1086年-1094年)、蘇軾(蘇東坡)の友の仏印が寺衆の推戴を受けて住持となった。「普済禅院」と改称。元代に「焦山寺」と改称。明の宣徳年間(1426年-1435年)は大雄宝殿を再建した。清の康熙42年(1703年)、康熙帝が南遊して「定慧寺」の名を賜ります。
注)蘇軾(そ しょく、1036年- 1101年)は、中国北宋の政治家、文豪、書家、画家。政治家としての活躍の他、宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。文学以外では、書家、画家として優れ、音楽にも通じた。号は蘇東坡(そとうば)。
◎渡し場:
◎定慧寺額:
◎定慧寺ゆかりの人(蘇東坡?)像:
◎定慧寺本堂・大雄宝殿:
◎北固山(ほくこざん)公園・甘露寺(かんろじ):甘露寺は呉の五鳳3年(256年)に建立された。長江の畔に位置する江蘇省鎮江の北固山は、三国志ゆかりの山である。孫権の妹・孫尚香と劉備の結婚により孫権と劉備が親戚関係を結んだ物語で知られ、古くから多くの文人墨客が訪れて数々の詩を詠んでいる。劉備が孫尚香と結婚するために北固山の甘露寺にやってきたとき、長江の畔に北固山が勇ましくそびえ立っている姿を見て、思わず「ここは天下第一の江山だ」と賛嘆の声をあげたという。
◎天下第一江山:
◎三国志ゆかりの絵画?:
◎北固山にある精暉亭(せいきてい)と鉄塔:唐の宝暦元年(825年)、浙江西道観察使の李徳裕は鉄塔を増築した。
◎北固山にある「阿倍野仲麻呂(あべのなかまろ)歌碑」:
翹首望東天 首を翹(あ)げて東天を望めば
神馳奈良邊 神(こころ)は馳す 奈良の辺
三笠山頂上 三笠山頂の上
思又皎月圓 思ふ 又た皎月(きょうげつ)の円(まどか)なるを
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
注)阿倍 仲麻呂(あべ の なかまろ、文武天皇2年〈698年〉- 宝亀元年〈770年〉1月);奈良時代の遣唐留学生。姓は朝臣。筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫。中務大輔・阿倍船守の長男。弟に阿倍帯麻呂がいる。唐名を「朝衡/晁衡」(ちょうこう)とする。唐で国家の試験に合格または推挙で登用され、唐朝において諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果たせずに唐で客死した。(ウィキペディア)
◎金山寺:東晋代(317~420年)の創建です。雪舟は2度この寺を訪ねています。:写真はウィキメディア:File:金山寺 - panoramio - Tiger@西北 (2).jpgより
午後、フェリーとバスで「揚州(ようしゅう)」へ……14:30「揚州賓館」チェックイン。Y&A:306号室、K&T:308号室、N:310号室。18:00迄自由行動。
◎揚州博物館:新石器時代からの貴重な文化遺物、揚州八奇人の本物の書道や絵画、彫刻版などを見ることができます。:入場料:@8角。輪タク(2人乗り3台)@3元×3。残念ながら資料・写真等見当たりません。
◎夕食時の飲料:74元。ビールか?
この日終わり。
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