【海外旅行】1992年5月中国・花の江南旅情8日間(3/7)
【第3日】5月11日(月) 無錫→鎮江泊 レート:¥25/元。
無錫の「湖濱飯店」の朝です。6:30 モーニングコール。7:15 バゲージアウトと朝食。8:10出発。無錫・太湖観光……
◎太湖(たいこ):江蘇省南部と浙江省北部の境界にある大きな湖である。その景観の美しさで知られ、中国政府の国家重点風景名勝区に指定されている。太湖の面積は2,250平方km(琵琶湖の約3.4倍)、平均水深は2.0m、最大水深は48m。湖面の海抜は3.33m、周囲は400kmである。中国五大湖の一つで、鄱陽湖、洞庭湖に次ぎ中国で三番目に大きな淡水湖である。
◎遊覧船:乗るところ……。船の頭に龍の頭が付いている
◎船上甲板:
◎船内座席:
◎遊覧船波止場(太湖遊輪碼頭):
◎観光モーターボート:
◎顔出しパネル(婚礼衣装?):
◎黿頭渚(えんとうしょ)公園:無錫市街の西の太湖に突き出た充山半島の突端にあり、形がちょうどスッポン(鼈)の頭に似ているのでこの名がついた。写真の亀は、頭は竜で、足は獣、尻尾は魚になっている。中国人が、亀の甲羅の上にお金を投げている。
◎黿頭渚公園にある「無錫旅情(むしゃくりょじょう)」の碑:1986年、中国の江蘇省無錫市は日本からの観光客誘致を考え、日本の観光業界の援助により作詞家・作曲家を無錫に招待した。中山大三郎も5日間無錫を訪れ、帰国後に書いたのがこの曲である。歌詞には無錫市の情景が歌われている。
無錫旅情
在那陌生的:君の知らない
異国他郷:異国の街で
想起了你啊热情联涙:君を思えば泣けてくる
請忘掉我吧:俺など忘れて
去追求幸福:幸せつかめと
我已迈上了:チャイナの
中国的旅程:旅路を行く俺さ
上海啊蘇州啊:上海蘇州と
坐上火車:汽車に乗り
馳向太湖畔水郷無錫:太湖のほとり無錫の街へ
発起人 山田廣作。詞曲 中山大三郎。演唱 尾形大作。
◎もう一つの碑:「無錫充満温情和水」(無錫は優しさと水に満ちている)という文言が刻まれています。これは『無錫旅情』の中国語版歌詞の一節です。
◎長春橋(ちょうしゅんきょう):向こうに見えるのが太湖:
◎蠡園(れいえん):難しい漢字を書きますが、名前の由来は范蠡(はんれい)の「れい」。司馬遷の史記によると、范蠡は中国春秋時代、越の国の武将です。呉の国に敗れ、囚われの身となった越王・勾践(こうせん)を助け、後に呉を滅ぼします。この話は、古くから日本にも伝わり、南北朝時代、北朝との戦で捕らわれた南朝の後醍醐天皇のために、忠臣・児島高徳が「天、勾践を空(むなし)うすることなかれ、時に范蠡無きにしも非ず」という詩句を桜の木に記したことで知られています。
1930年、当地の実業家の王禹卿が建設した庭園。越王勾践の家臣の范蠡が、絶世の美女といわれた西施と過ごした湖に作られている。
◎四方亭(しほうてい)(四季亭):
◎錫恵公園(しゃくけいこうえん):市域の西、京杭大運河をはさんで対岸にある錫山と、江南第一と称えられる恵山にまたがる領域を持つ公園仏教寺院や楼閣が点在する。
◎「江南第一山」といわれる恵山寺(けいざんじ):
◎寄暢園(きちようえん):錫恵公園内の庭園。明の正徳年間(1506~1521年)に造営され、すぐれた造園技術と独特の風格でよく知られ、江南の有名な明代の庭園の一つ。「寄暢」とは「気晴らし」のこと。
◎寄暢園の宸翰(しんかん:乾隆帝(清の第6代皇帝)の自筆の文書):
15:20~
◎無錫絹糸工場:地方国営工場:
泥人形:8元×5=40元。絹シャツ110元×2=220元。女物ブラウス90元。民謡テープ:?元。
バスで鎮江の「金山飯店」へ……約135キロ。チェックイン。4101号室:Y&A、4102:K&T、4103:N。
◎ホテル部屋:
この日終わり。
無錫の「湖濱飯店」の朝です。6:30 モーニングコール。7:15 バゲージアウトと朝食。8:10出発。無錫・太湖観光……
◎太湖(たいこ):江蘇省南部と浙江省北部の境界にある大きな湖である。その景観の美しさで知られ、中国政府の国家重点風景名勝区に指定されている。太湖の面積は2,250平方km(琵琶湖の約3.4倍)、平均水深は2.0m、最大水深は48m。湖面の海抜は3.33m、周囲は400kmである。中国五大湖の一つで、鄱陽湖、洞庭湖に次ぎ中国で三番目に大きな淡水湖である。
◎遊覧船:乗るところ……。船の頭に龍の頭が付いている
◎船上甲板:
◎船内座席:
◎遊覧船波止場(太湖遊輪碼頭):
◎観光モーターボート:
◎顔出しパネル(婚礼衣装?):
◎黿頭渚(えんとうしょ)公園:無錫市街の西の太湖に突き出た充山半島の突端にあり、形がちょうどスッポン(鼈)の頭に似ているのでこの名がついた。写真の亀は、頭は竜で、足は獣、尻尾は魚になっている。中国人が、亀の甲羅の上にお金を投げている。
◎黿頭渚公園にある「無錫旅情(むしゃくりょじょう)」の碑:1986年、中国の江蘇省無錫市は日本からの観光客誘致を考え、日本の観光業界の援助により作詞家・作曲家を無錫に招待した。中山大三郎も5日間無錫を訪れ、帰国後に書いたのがこの曲である。歌詞には無錫市の情景が歌われている。
無錫旅情
在那陌生的:君の知らない
異国他郷:異国の街で
想起了你啊热情联涙:君を思えば泣けてくる
請忘掉我吧:俺など忘れて
去追求幸福:幸せつかめと
我已迈上了:チャイナの
中国的旅程:旅路を行く俺さ
上海啊蘇州啊:上海蘇州と
坐上火車:汽車に乗り
馳向太湖畔水郷無錫:太湖のほとり無錫の街へ
発起人 山田廣作。詞曲 中山大三郎。演唱 尾形大作。
◎もう一つの碑:「無錫充満温情和水」(無錫は優しさと水に満ちている)という文言が刻まれています。これは『無錫旅情』の中国語版歌詞の一節です。
◎長春橋(ちょうしゅんきょう):向こうに見えるのが太湖:
◎蠡園(れいえん):難しい漢字を書きますが、名前の由来は范蠡(はんれい)の「れい」。司馬遷の史記によると、范蠡は中国春秋時代、越の国の武将です。呉の国に敗れ、囚われの身となった越王・勾践(こうせん)を助け、後に呉を滅ぼします。この話は、古くから日本にも伝わり、南北朝時代、北朝との戦で捕らわれた南朝の後醍醐天皇のために、忠臣・児島高徳が「天、勾践を空(むなし)うすることなかれ、時に范蠡無きにしも非ず」という詩句を桜の木に記したことで知られています。
1930年、当地の実業家の王禹卿が建設した庭園。越王勾践の家臣の范蠡が、絶世の美女といわれた西施と過ごした湖に作られている。
◎四方亭(しほうてい)(四季亭):
◎錫恵公園(しゃくけいこうえん):市域の西、京杭大運河をはさんで対岸にある錫山と、江南第一と称えられる恵山にまたがる領域を持つ公園仏教寺院や楼閣が点在する。
◎「江南第一山」といわれる恵山寺(けいざんじ):
◎寄暢園(きちようえん):錫恵公園内の庭園。明の正徳年間(1506~1521年)に造営され、すぐれた造園技術と独特の風格でよく知られ、江南の有名な明代の庭園の一つ。「寄暢」とは「気晴らし」のこと。
◎寄暢園の宸翰(しんかん:乾隆帝(清の第6代皇帝)の自筆の文書):
15:20~
◎無錫絹糸工場:地方国営工場:
泥人形:8元×5=40元。絹シャツ110元×2=220元。女物ブラウス90元。民謡テープ:?元。
バスで鎮江の「金山飯店」へ……約135キロ。チェックイン。4101号室:Y&A、4102:K&T、4103:N。
◎ホテル部屋:
この日終わり。
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