【海外旅行】1991年5月オランダ・ベルギー・イギリス4人旅16日間(1/13)

 1991年(平成3年)は、私が退職して、小金井から小平に移ったのが1989年ですから、念願の「海外旅行三昧」に脂がのってきた頃です。私(K)63歳、妻(T)64歳、妻の妹(Y)59歳、妻の女学校時代からの友達(O)さん64歳、の4人。私のレンタカー運転での個人旅行です。(以下、参加個人名はイニシアルで表示します)。

 5月8日〜23日の16日間。この時期はヨーロッパ旅行最適シーズンです。残念ながら写真が整理されて居らず、未だフィルム時代なので何処でとった写真か判らないのがありますが、途切れ途切れの旅行メモと、完璧な旅行予定を参照しながら、旅の記録を綴って見ましょう。

 行程は、自宅→成田→ロンドン(1泊)→アムステルダム(3泊)→ロッテルダム(1泊)→ブリュッセル(2泊)→ブルージュ(2泊)→ロンドン(2泊)→ストラットフォード(1泊)→カースルクーム(1泊)→ロンドン(1泊)→(機中泊)→成田→自宅
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 費用は、航空運賃@¥198,000。宿泊料、食費、交通費、駐車料、レンタカー代等約@¥250,000。で総計@450,000プラス土産物代という感じです。

【第1日】1991年(平成3年)5月8日(水) 小平→成田→ロンドン泊 £1=¥262。日出4:43 日南中11:38 (東京)日没20:32(ロンドン)

 5:30起床、6:35 小平自宅から妻と二人、愛車「ブルーバード」で成田へ。高速三鷹付近で事故、その後は順調。湾岸幕張で休憩、東関道「酒々井」でいつものように「天玉そば」2人でシェア¥330。8:30~9:05。高速料金:¥500+¥600+¥1,550。

 9:25 成田空港南ウイング出発ロビー前で,荷物を降ろし、Pを1回半回って出入口から入った所に「つるやパーキング」の出張所があり、そこで車を預け、VISAで¥19,800支払う。

 地下道を通り、出発ロビーで大阪からの2人と無事合流。10:00チェックイン。海外旅行傷害保険にOさん:¥12,000。Yさん:¥10,000。KとT:@¥5,350。中央地下のコンビニでウーロン茶。ポカリスエットなどを買う。Oさん:車つきバッグ¥1,000 。4階に上がり、電気屋でソケット¥550。Yさん青バッグ¥1,300。

 11:15出国。例によってTのダイヤの指輪、Kのスイス腕時計申告(再入国時税金をかけられないため)。免税店前で小休止。富久娘(日本酒)紙パック1合×10箱:¥1,800。ヴァージンの無料券で、サンドイッチ¥530、ジュース、バナナ¥350など各自購入。

 11:49頃、サテライトへ移動、12:00:トイレ。12:10ヴァージン航空・VS901便、機内へ、空いているガラガラ……座席33HJKL。ガラガラなので:33,34,35,36に分かれ座る。各自3席使って横になれる。12:30定刻のところ、遅れて12:50テイクオフ。ロンドンまで直行、予定航空時間は12時間5分。
時差が8時間あるので、腕時計の針を12:30から4:30に動かす。(以後の記述はロンドン時刻で……)

 水を貰ってKとTは風邪薬を飲む。(この頃、海外旅行前は緊張ストレスからか風邪気味になることが多かった、現地に着くと治ってしまう)すぐ昼食が出る。食前酒、Kはジントニック、Yはビール。和食「栗ご飯」美味しく全部食べた。ハルシオン半錠で6:00~9:00、3時間ほど眠る。

 少し寒いので、赤い毛布をズボンに巻き、カーディガンを着て、ブルゾンを膝に当てるなどをした。ミュージックは落語・志ん生「鮑のし」小さん「たぬき」金馬「やかん」など……クラシックや小品シンフォニーなども……・

 持参キャッシュを確かめる。円キャッシュ:T:¥275,000。K:¥103,000。イギリスポンド:£28.00。フランスフラン:FF310.00。

 10:00 アフターヌーンティー、サンドイッチなどがでる。なかなかよろし……12:00もう一度風邪薬。15:00 ラザーニャとエビチリソースの夕食。

 16:55 ロンドン。ガトウィック空港着。入国。両替各自¥20,000を……£76.31。(レート£=¥257.945……£77.81~コミッション£1.50)。実質レート:£=¥262。YとOからこれらキャッシュを預かり、今後Tが支払担当をする。

 ホテルの「コーテシーバス(無料)」で「ペンタホテル」チェックイン。18:00。運転手にチップ£2.00(Tが代表で払う)。
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 部屋:K&T 101、Y&O 102号室。夕食は部屋でおむすびとサンドイッチで済ませる。

 この日終わり。

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