【国内旅行】2008年4月 西行物語と西国札所巡礼8日間(10/14)
【第6日】4月17日(木)のつづき 京都八条→城南宮(旧鳥羽離宮跡/庭園)→安楽寿院(鳥羽天皇陵/三尊石仏)→花園→法金剛院(待賢門院遺跡/仏像/庭園・青女滝)→嵯峨(西行井戸/去来墓/落柿舎)→太秦→蚕の社(三角鳥居)→八条(■新都ホテル)
「城南宮」から少し東へいくと、「安楽寿院・五輪塔」がある。安楽寿院の北西、老人ホームの前に立っている。
◎安楽寿院・五輪塔:重要文化財、鎌倉時代中期 弘安十年 1287年銘、花崗岩、高さ 308Cm)。ここは旧本堂前。11:53
◎安楽寿院:12:02
説明板の内容:
安楽寿院(あんらくじゅいん)
真言宗の寺 保延三年(1137)鳥羽離宮の東殿を寺に改めたことに始まる。開基は鳥羽上皇、覚法法親王を導師に落慶した。保延五年(1139)本御塔(ほんみとう)と呼ばれる三重塔が建立され、続いて九躰阿弥陀堂、焔魔堂、不動堂が建てられた。保元元年(1156)鳥羽法皇(上皇)が本御塔に葬られた。鳥羽天皇安楽寿院陵はそのあとである。保元二年(1157)皇后美福門院は新御塔(しんみとう)を建立、ここには後に近衛天皇の遺骨が納められた。近衛天皇安楽寿院南陵がそれであり、現在の多宝塔は慶長十一年(1606)豊臣秀頼により、片桐且元を普請奉行として再興されたものである。
現在の安楽壽院は真言宗智山派に属し、本尊阿弥陀如来坐像(重要文化財)は鳥羽上皇の御念持仏と伝えられ、胸に卍が記されているため卍阿弥陀とも呼ばれる。境内は京都市史跡に指定され、平安時代の三尊石仏、鎌倉時代の石造五輪塔(重要文化財)、冠石が現存し、孔雀明王画像、阿弥陀聖衆来迎図、普賢菩薩画像(いずれも鎌倉時代、重要文化財)等を所蔵する。
なお、当院は鳥羽伏見の戦のおりには官軍(薩摩軍)の本営となったところである。 京都市
--------------------------------
◎平安時代の三尊石仏3点:釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊と呼ばれる3点の石仏で、平安時代末期の作。鳥羽離宮内にあった成菩提院跡から江戸時代に出土したものという。石質がもろいため剥落が激しい。12:05
写真は「釈迦三尊」(文殊・釈迦・普賢):
「阿弥陀三尊」は最も保存が良く「京都国立博物館」にある。
◎本御塔:12:08
「安楽寿院」のすぐ東に……
◎鳥羽天皇安楽寿院陵:12:16
◎「院政の地」碑:12:18
「白河法皇・鳥羽法皇院政之地」
すぐ近くに……
◎西行寺跡・火消地蔵尊:12:35
平安時代、西行が鳥羽院の下、北面の武士になった頃、この付近に邸宅があったという。江戸時代、庵室があり、西行寺と呼ばれた。境内には月見池、剃髪堂があったという(『雍州府志』『拾遺都名所図会』)。近代、1878年、西行寺は、観音寺(伏見区)に併合され、廃された。
花園の「法金剛院」へ行く、途中西京区上桂前田町のそば処「山吹」で昼食。天の衣そば¥945、きざみそば¥682。13:00〜13:40
◎法金剛院:¥400×2。(ほうこんごういん):京都市右京区花園にある。山号は五位山。本尊は阿弥陀如来。極楽浄土を模した庭で名高い律宗の寺院。平安初期に清原夏野が山荘を建てた場所で、双丘寺が営まれていたが、のちに文徳天皇が大伽藍を建てて天安寺としたのを、大治5年(1130)、鳥羽天皇の中宮待賢門院が復興し法金剛院とした。桜、蓮、紅葉など四季折々に美しく、その美観は西行の歌にも詠まれた。14:07〜
◎西行と待賢門院:
西行の出家の理由は定かではありません。同僚の突然死によって無常感を悟った説(西行物語絵巻)や、高貴な上臈(じょうろう)女房と逢瀬をもったが「あこぎ」の歌を詠みかけられて失恋したとする説(源平盛衰記)が有力。その「高貴な女性」は「待賢門院・藤原障子」ではないか?と……落語「西行」はこのことを題材にしている。
注)「あこぎ」の歌:「伊勢の海 阿漕が浦に引く網も たび重なれば あらわれにけり」……逢瀬も度重なればバレル……といって断られた。
西行は美顔の待賢門院を深く思慕していて、次の歌をうたったという。
なんとなく 芹と聞くこそ あはれなれ 摘みみけん人の 心知られて
(「芹摘む人」と言うのは局など高貴な女性にかなわぬ恋をすることを意味する)
又待賢門院が亡くなられて、次の歌を残している。
紅葉みて 君が袂(たもと)や しぐるらむ 昔の秋の 色をしたひて
お互いに出家した後も、2人の交流は続いてた様で、待賢門院の従者である堀川局と西行が交わした和歌が残っています。
尋ぬとも 風の伝にも 聞かじかし 花と散りにし 君が行方を 西行
(尋ねても風の便りにも聞くことができない、花のように散ってしまった待賢門院の行方は)
吹く風の 行方知らする ものならば 風と散るにも 遅れざらまし 堀川局
(吹く風が行方を知らせてくれるのならば、遅れずに後をついていくのに)
◎地蔵:14:27
◎青女の滝(せいじょのたき):日本最古の人工の滝とされており、国の特別名勝に指定されている。14:30
◎待賢門院の従者「堀川」の歌碑:14:34
「ながからむ 心もしらず 黒髪の みだれて 今朝は 物をこそ思へ」(百人一首・80)
◎苑池/鶴島:14:35
この日つづく……
「城南宮」から少し東へいくと、「安楽寿院・五輪塔」がある。安楽寿院の北西、老人ホームの前に立っている。
◎安楽寿院・五輪塔:重要文化財、鎌倉時代中期 弘安十年 1287年銘、花崗岩、高さ 308Cm)。ここは旧本堂前。11:53
◎安楽寿院:12:02
説明板の内容:
安楽寿院(あんらくじゅいん)
真言宗の寺 保延三年(1137)鳥羽離宮の東殿を寺に改めたことに始まる。開基は鳥羽上皇、覚法法親王を導師に落慶した。保延五年(1139)本御塔(ほんみとう)と呼ばれる三重塔が建立され、続いて九躰阿弥陀堂、焔魔堂、不動堂が建てられた。保元元年(1156)鳥羽法皇(上皇)が本御塔に葬られた。鳥羽天皇安楽寿院陵はそのあとである。保元二年(1157)皇后美福門院は新御塔(しんみとう)を建立、ここには後に近衛天皇の遺骨が納められた。近衛天皇安楽寿院南陵がそれであり、現在の多宝塔は慶長十一年(1606)豊臣秀頼により、片桐且元を普請奉行として再興されたものである。
現在の安楽壽院は真言宗智山派に属し、本尊阿弥陀如来坐像(重要文化財)は鳥羽上皇の御念持仏と伝えられ、胸に卍が記されているため卍阿弥陀とも呼ばれる。境内は京都市史跡に指定され、平安時代の三尊石仏、鎌倉時代の石造五輪塔(重要文化財)、冠石が現存し、孔雀明王画像、阿弥陀聖衆来迎図、普賢菩薩画像(いずれも鎌倉時代、重要文化財)等を所蔵する。
なお、当院は鳥羽伏見の戦のおりには官軍(薩摩軍)の本営となったところである。 京都市
--------------------------------
◎平安時代の三尊石仏3点:釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊と呼ばれる3点の石仏で、平安時代末期の作。鳥羽離宮内にあった成菩提院跡から江戸時代に出土したものという。石質がもろいため剥落が激しい。12:05
写真は「釈迦三尊」(文殊・釈迦・普賢):
「阿弥陀三尊」は最も保存が良く「京都国立博物館」にある。
◎本御塔:12:08
「安楽寿院」のすぐ東に……
◎鳥羽天皇安楽寿院陵:12:16
◎「院政の地」碑:12:18
「白河法皇・鳥羽法皇院政之地」
すぐ近くに……
◎西行寺跡・火消地蔵尊:12:35
平安時代、西行が鳥羽院の下、北面の武士になった頃、この付近に邸宅があったという。江戸時代、庵室があり、西行寺と呼ばれた。境内には月見池、剃髪堂があったという(『雍州府志』『拾遺都名所図会』)。近代、1878年、西行寺は、観音寺(伏見区)に併合され、廃された。
花園の「法金剛院」へ行く、途中西京区上桂前田町のそば処「山吹」で昼食。天の衣そば¥945、きざみそば¥682。13:00〜13:40
◎法金剛院:¥400×2。(ほうこんごういん):京都市右京区花園にある。山号は五位山。本尊は阿弥陀如来。極楽浄土を模した庭で名高い律宗の寺院。平安初期に清原夏野が山荘を建てた場所で、双丘寺が営まれていたが、のちに文徳天皇が大伽藍を建てて天安寺としたのを、大治5年(1130)、鳥羽天皇の中宮待賢門院が復興し法金剛院とした。桜、蓮、紅葉など四季折々に美しく、その美観は西行の歌にも詠まれた。14:07〜
◎西行と待賢門院:
西行の出家の理由は定かではありません。同僚の突然死によって無常感を悟った説(西行物語絵巻)や、高貴な上臈(じょうろう)女房と逢瀬をもったが「あこぎ」の歌を詠みかけられて失恋したとする説(源平盛衰記)が有力。その「高貴な女性」は「待賢門院・藤原障子」ではないか?と……落語「西行」はこのことを題材にしている。
注)「あこぎ」の歌:「伊勢の海 阿漕が浦に引く網も たび重なれば あらわれにけり」……逢瀬も度重なればバレル……といって断られた。
西行は美顔の待賢門院を深く思慕していて、次の歌をうたったという。
なんとなく 芹と聞くこそ あはれなれ 摘みみけん人の 心知られて
(「芹摘む人」と言うのは局など高貴な女性にかなわぬ恋をすることを意味する)
又待賢門院が亡くなられて、次の歌を残している。
紅葉みて 君が袂(たもと)や しぐるらむ 昔の秋の 色をしたひて
お互いに出家した後も、2人の交流は続いてた様で、待賢門院の従者である堀川局と西行が交わした和歌が残っています。
尋ぬとも 風の伝にも 聞かじかし 花と散りにし 君が行方を 西行
(尋ねても風の便りにも聞くことができない、花のように散ってしまった待賢門院の行方は)
吹く風の 行方知らする ものならば 風と散るにも 遅れざらまし 堀川局
(吹く風が行方を知らせてくれるのならば、遅れずに後をついていくのに)
◎地蔵:14:27
◎青女の滝(せいじょのたき):日本最古の人工の滝とされており、国の特別名勝に指定されている。14:30
◎待賢門院の従者「堀川」の歌碑:14:34
「ながからむ 心もしらず 黒髪の みだれて 今朝は 物をこそ思へ」(百人一首・80)
◎苑池/鶴島:14:35
この日つづく……
この記事へのコメント