【海外旅行】1983年オーベルニュロマネスク紀行(11/16)
【第6日】1983年8月2日(火) ボールレタン:日の出 : 06:30 ピュイドドーム山:日の入り : 21:17 レートFF(フラン・スフラン)=¥31。
BORT-L'ETANG -- BILLOM ( EGLISE ST-CERNEUF ) -- ST-SATURNIN -- ST-NECTAIRE -- MUROL ( CHATEAU ) -- CLERMONT-FARRAND( BASILIQUE DE NOTRE-DAME-DU-PORT ) -- PUY-DE-DOME ( ■HOTEL LE DOME )
今日は「クレルモンフェラン」近郊です。9:40「シャトー ・ドゥ・ コディニャ」をチェックアウト。出発。13キロほど走って「ビヨム(BILLOM)」の町。中世は交易都市として栄えたところ。中世の趣を残した街並み。
「聖セルヌフ教会(Église St-Cerneuf)」。教会の起源は11世紀まで遡るのですが、現在の建築はほとんどゴシックのようです。西ファサードの扉口は「モサラベ様式」。
身廊に「ロマネスクの柱頭」が残されていました。
「クリプト(地下祭室)」はロマネスクです。武骨で素朴な柱だらけの空間。これがロマネスクの原点といえるでしょう。
11:00「ビヨム」を離れて,少し走ると苅った後の麦畑で、奇妙なコロコロしたもの。日本でも北海道では見られるそうですが、私たちは初体験だったので、車を駐めて写真を撮りました。「麦稈(ばっかん)/麦わらロール」というのだそうですね。
また少し走ると、今度は「ひまわり畑」。
……28キロ、12:10「サン・サテュルナン(ST-SATURNIN)」。静かな小さな村。教会も同名です。教会の前の家で「トイレ」を借りました。(普通はカッフェなどを利用するのですが、この時見当たらなかったのでしょう)御礼に手持ちの「日本の記念切手数枚」をプレゼントした。マダム:ギメ(GIMET)さん宅。
この「聖サテュルナン教会(Église St-Saturnin)」は構造的にほとんど改修されていない典型的なオーベルニュの様式ロマネスク建築です。三廊式十字形で、六本の円柱が半円形に並んだ祭室の周りに、周歩廊が設けられていまするが、放射状の小祭室は見られません。翼廊の左右に小礼拝堂が付けられています。
身廊のアーケードの上層はトリビューンになっており一つのベイに三連のアーケードが設けられているので、とても開放的な美を感じさせられます。
地下の祭室クリプトへ降りると、太い円柱が密度濃く並んでおり、高さの低い天井の交差ヴォールトが初期の質実剛健な建築様式を伝えています。
13:25、南を向いて、やや木が多いという程度の山あいを走ります。少し登り……
「D28」から「D119」「サンネクテール(ST-NECTAIRE)」の標識にしたがって「D150」へ。カーブのつづく路は峠を越えたようで緩やかな降りになってきました。視界が開けて「サンネクテール」の教会と街が左手遠くの谷間に見えます。
1984年10月のカレンダー
カレンダー左下の説明文「サンネクテール:フランス中部オーベルニュ地方のロマネスク教会の中で、最も均整の取れた端正な建物(12世紀)」。
ここは当時、内部は一切撮影禁止でした。(今はOKになっています)素晴らしい彩色の柱頭がありますので、ウィキコモンズから拝借の写真を載せます。
ウィキメディア・コモンズ:File:St-Nectaire Chapiteau JPG02.jpg。「最後の審判」の部分。
ウィキメディア・コモンズ:File:St-Nectaire Chapiteau JPG03.jpg。「黙示録の死の騎士と死者」。
ウィキメディア・コモンズ:File:St-Nectaire Chapiteau JPG01.jpg。「黙示録の死者の蘇り」。
ウィキメディア・コモンズ:File:Chapiteau de St-Nectaire - La multiplication des pains.jpg。「魚とパンの奇跡」。
ウィキメディア・コモンズ:File:Chapiteau de St-Nectaire - L'incrédulité de Thomas.jpg。「不信のトマ」。
ウィキメディア・コモンズ:Chapiteau de St-Nectaire - La pesée des âmes.jpg。「大天使ミカエルの魂の計量」。
ウィキメディア・コモンズ:Chapiteau de St-Nectaire - Les Élus.jpg。「最後の審判ー選ばれし人びと」。
さらに東へ進みます……
この日つづく……
BORT-L'ETANG -- BILLOM ( EGLISE ST-CERNEUF ) -- ST-SATURNIN -- ST-NECTAIRE -- MUROL ( CHATEAU ) -- CLERMONT-FARRAND( BASILIQUE DE NOTRE-DAME-DU-PORT ) -- PUY-DE-DOME ( ■HOTEL LE DOME )
今日は「クレルモンフェラン」近郊です。9:40「シャトー ・ドゥ・ コディニャ」をチェックアウト。出発。13キロほど走って「ビヨム(BILLOM)」の町。中世は交易都市として栄えたところ。中世の趣を残した街並み。
「聖セルヌフ教会(Église St-Cerneuf)」。教会の起源は11世紀まで遡るのですが、現在の建築はほとんどゴシックのようです。西ファサードの扉口は「モサラベ様式」。
身廊に「ロマネスクの柱頭」が残されていました。
「クリプト(地下祭室)」はロマネスクです。武骨で素朴な柱だらけの空間。これがロマネスクの原点といえるでしょう。
11:00「ビヨム」を離れて,少し走ると苅った後の麦畑で、奇妙なコロコロしたもの。日本でも北海道では見られるそうですが、私たちは初体験だったので、車を駐めて写真を撮りました。「麦稈(ばっかん)/麦わらロール」というのだそうですね。
また少し走ると、今度は「ひまわり畑」。
……28キロ、12:10「サン・サテュルナン(ST-SATURNIN)」。静かな小さな村。教会も同名です。教会の前の家で「トイレ」を借りました。(普通はカッフェなどを利用するのですが、この時見当たらなかったのでしょう)御礼に手持ちの「日本の記念切手数枚」をプレゼントした。マダム:ギメ(GIMET)さん宅。
この「聖サテュルナン教会(Église St-Saturnin)」は構造的にほとんど改修されていない典型的なオーベルニュの様式ロマネスク建築です。三廊式十字形で、六本の円柱が半円形に並んだ祭室の周りに、周歩廊が設けられていまするが、放射状の小祭室は見られません。翼廊の左右に小礼拝堂が付けられています。
身廊のアーケードの上層はトリビューンになっており一つのベイに三連のアーケードが設けられているので、とても開放的な美を感じさせられます。
地下の祭室クリプトへ降りると、太い円柱が密度濃く並んでおり、高さの低い天井の交差ヴォールトが初期の質実剛健な建築様式を伝えています。
13:25、南を向いて、やや木が多いという程度の山あいを走ります。少し登り……
「D28」から「D119」「サンネクテール(ST-NECTAIRE)」の標識にしたがって「D150」へ。カーブのつづく路は峠を越えたようで緩やかな降りになってきました。視界が開けて「サンネクテール」の教会と街が左手遠くの谷間に見えます。
1984年10月のカレンダー
カレンダー左下の説明文「サンネクテール:フランス中部オーベルニュ地方のロマネスク教会の中で、最も均整の取れた端正な建物(12世紀)」。
ここは当時、内部は一切撮影禁止でした。(今はOKになっています)素晴らしい彩色の柱頭がありますので、ウィキコモンズから拝借の写真を載せます。
ウィキメディア・コモンズ:File:St-Nectaire Chapiteau JPG02.jpg。「最後の審判」の部分。
ウィキメディア・コモンズ:File:St-Nectaire Chapiteau JPG03.jpg。「黙示録の死の騎士と死者」。
ウィキメディア・コモンズ:File:St-Nectaire Chapiteau JPG01.jpg。「黙示録の死者の蘇り」。
ウィキメディア・コモンズ:File:Chapiteau de St-Nectaire - La multiplication des pains.jpg。「魚とパンの奇跡」。
ウィキメディア・コモンズ:File:Chapiteau de St-Nectaire - L'incrédulité de Thomas.jpg。「不信のトマ」。
ウィキメディア・コモンズ:Chapiteau de St-Nectaire - La pesée des âmes.jpg。「大天使ミカエルの魂の計量」。
ウィキメディア・コモンズ:Chapiteau de St-Nectaire - Les Élus.jpg。「最後の審判ー選ばれし人びと」。
さらに東へ進みます……
この日つづく……
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