【昔と今】情報源

 「情報源」。90年生きてきた中で、私自身の情報源を中心に,いろいろ振り返って書いてみましょう。

 何度も書いたことですが、私は昭和2年(1927年)生まれなので、思い出の一番古いところといえば「幼稚園」時代。昭和8年入園の頃から昭和11年小学生低学年あたりです。

 その時代は、私自身の情報源は「両親の話し」「先生の話し」「友達の話し」「近所の小母さんやお兄さんの話し」「ラジオ」「雑誌」「童話」など。新聞は親が「朝日新聞」をとっていましたが、あまり呼んだ記憶はありません。

●まず「両親の話し」とくに「母親」とは1日数時間の接触があり、生活習慣のこと、しつけ、世間話、親戚などの話し、一番影響を受けたのではないでしょうか。特に、大げさに言えば「自然観」「世界観」「人生観」などの人格形成の大半は「母」からのお話し、そして「母」の「父」やその他の人との会話も、大きい情報源でした。結構子供は大人の話に耳を傾けているのです。何かにつけて「不服」ばかりいっている両親の子は、やはり「不服」が多い子になります。オソロシイことです。

●「先生の話し」もそうです。まだ「批判精神」が発達していないので、そのまま人格形成に影響します。(これは後のことですが戦後の日教組華やかなりしころに小学生だった人は「日の丸無視」「君が代反対」などが刷り込まれています)

●「友達の話し」からはいろんな遊び事を教わりますが、いろんな家庭事情なども知って驚きます。

●「近所の小母さんやお兄さんの話し」からは「この土地の生活習慣」を教わると共に、大人の世界のナヤミなども知ることになります。わたしは「お向かいの畳屋のお兄さん」から「将棋」を習いましたが、雑談を通じていろいろ教わったように思います。

●「ラジオ」は既に家にありました。あまり、まともに「ニュース」など聞いた覚えはありません。一番覚えているのは「大相撲中継」。贔屓力士の星取り表などを作って熱心に聞きました「玉錦」全盛時代だったので、その後もずっと「二所ヶ関部屋」が贔屓です。敵は「双葉山」ひきいる「立浪部屋」。

 「中等野球・甲子園」の実況放送は地元、兵庫県勢応援で聴き入りました。「六大学」にはあまり関心はありませんでした。「早慶戦」というのは子供の時から知っていましたが……。

 印象に残っているのは「ベルリンオリンピックの前畑ガンバレ放送」。調べて見ると昭和11年(1936年)8月11日の深夜12時前後のことだったようです、小学3年生の私も「夏休み」中ですから起きて聞いていました。短波中継なのでザーザー雑音の中、それでも「前畑ガンバレ!」が聞こえました、相手はドイツの「ゲネンゲル」と覚えています。

 注)本題からそれますが、この年、2学期から葺合区の小野柄小学校に転校しています。この放送は「灘南通」の家で聞いた記憶がありますので、引っ越しは8月12日から8月31日の間だったようです。

 「ラジオ」でもう一つ覚えているのは、以前にも書きましたが、「仏法僧(ぶっぽうそう)」の鳴き声放送。別の時に「河鹿(かじか)」の鳴き声放送。NHKはイイ放送をしてくれています。つまらないことかも知れませんが「情操教育」になっているのではないでしょうか?
「昭和八年~昭和一一年・世の出来事」のこと

●「雑誌」「童話」「少年少女小説」。我が家は「古本屋」でしたので幼稚園前から「本」を読むのが好きでした。仮名が読めたので、その頃の本はほとんど振り仮名が付いていたので、大人の雑誌でさえ読めたのです。「童話」に飽き足らず「小公子」「小公女」「家なき子」「十五少年漂流記」「ロビンソンクルーソー」と片っ端から読みました。「幼年倶楽部」「少年倶楽部」「少女倶楽部」もお店にあるので適当に拾い読みしていました。これは結構「時事もの解説」など「世の中の情勢」の一端を知る窓であったと思います。

 昭和12年(1938年)、小学4年生になって「大毎小学生新聞」(日刊紙・1936年12月22日発刊)を親が取ってくれ、もう一つの情報源になりました。

 兄2人、弟1人。兄弟との関わり合いも、情報源。会社勤めの話しや、趣味娯楽。弟からは、お付きの女中さんからの話しも世界が違うので面白いです。そういえば店に「ぼんさん(丁稚/小僧)」もいました。

 その後、「県立工業学校(中等学校)」へ通うようになると、やはり友達との交際は「家」まで押しかけていって、世間が広くなっていきました。

 戦後の「テレビ」放送開始ほど大きい変化は無かったでしょう。昭和28年(1953年)2月NHK放送開始。我が家のテレビ受像機購入は翌年の昭和29年(1954年)。カラーテレビ放送開始は昭和33年(1958年)。これは「お茶の間情報源」として「大革命」といえるでしょう。勿論単なる情報源という以上に「生活スタイル」まで変わってしまうほどのできごと。

 電話の普及も。時報や天気予報が簡単に得られるようになりました。携帯電話も普及、FAXという通信手段も情報伝達の手段の進化という事で無視出来ません。

 パソコンの普及から、それを電話線で繋ぎ「パソコン通信」というカタチでの「SNS」(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)( Social networking service)の初期の形ができましたが、未だ一部の人に限られていました。私は退職後、平成2年(1990年)3月に「パソコン通信・PCVAN」に加入しました。これは世代の異なる人達とのお付き合いという事で、情報源として、画期的なことでした。

 そういえば「水彩画教室」や「スケッチ会」のお付き合いも年齢性別を超えた「情報源」といえます。年代が違うと考え方は元より、それぞれの世界を持っているので「貴重な情報源」です。

 平成12年(2000年)にはインターネットの普及で「パソコン通信」も吸収され、世界がグッと広がりました。「ホームページ」「ブログ」「検索機能」「メール機能」など「テレビ」とは違った「情報革命」が訪れました。

 それを一般に普及させたのは「携帯電話」が「スマートホン」という名の「携帯コンピューター」への進化でした。日本でiPhoneが発売されたのは平成20年(2008年)。この「スマホ」にはカメラ機能も搭載され、やがて小型カメラに取って変わる事態となっています。ここで得られた写真画像はGPS機能があるため位置情報、時刻情報も共に保存されます。

 一方、携帯コンピューターを一枚の板に収めた2001年に発表されたマイクロソフトの「タブレットPC」が2010年の「iPad 」の発表以来、各社から高性能で様々に利用できるタブレットが数多くリリースされ、インターネットのサービスを利用するための端末としての性格から「タブレット端末」とも呼ばれています。

 「スマートホン」や「タブレット」のような「携帯情報端末」のことを「モバイル」「モバイル端末」といい、その携帯性を生かし、いまや「パソコン」をしのぐ「情報端末」として益々重宝されています。

 その機能として「音声認識を使った検索機能」「カメラ機能を使った画像検索機能」「QRコード」の読み取り」等は「情報収集手段」として画期的です。情報収集ではありませんが「PayPay」などに代表される「キャッシュレス決済」機能なども追加され、「モバイル端末」なしでは日常生活が送れないと思われるほど、依存度が高まってきています。最近のアプリは「パソコン用」でなく「モバイル端末」しか使えないモノが増えています。今や「モバイル端末」を持たない人は満足な生活環境が得られないという時代です。

 若い人達の間では「情報収集」は数々のSNSから得ており「TV」離れが進んでいるようです。もちろんSNSは「収集」だけでなく「発信」も含めて。

 SNSは、日本語では「会員制交流サイト」とよばれ。年々新しいモノが登場していますが、2021年現在、人気のあるものの一覧表です。

●短文SNS(例)Twitter:世界3.4億人
●日記SNS(例)Facebook:世界25億人
●チャットSNS(例)LINE:世界2.2億人
●写真SNS(例)Instagram:世界10億人
●動画SNS(例)Youtube:世界20億人
●音声SNS(例)Clubhouse(クラブハウス)
●ライブ配信SNS(例)Pococha(ポコチャ)
●質問SNS(例)ヤフー知恵袋

 私も「物好き」ですから、Twitter、Facebook、Instagramに一応アカウントは持っていますが、日常ほとんど使っていません。LINEは「藤井寺絵画教室」のグループ連絡に、そして難聴の私にとって電話代わりの手段として「同居の姪」との連絡に必須です。Youtubeは「ペン習字」「水彩画」などチャンネル登録をして専ら見るだけ……。

 私の現在の「情報収集手段」は。毎朝「パソコンでの産経新聞(紙面と同じモノ)」さっと一覧、食事時「TV」NHKニュース。正午と午後7時のニュースは大抵見ています。あとは気が向いた時iPhoneやiPadで、ヤフー天気予報。NHKニュース。ヤフーニュース(それぞれのニュースにいろんな人のコメントが付いているのを読めるのが重宝)、時にYouTubeを覗く。TVもときどき民放を覗くとコマーシャルが新鮮。

 パソコンはブログを書いている関係上1日3時間以上付き合っています。TVは気まぐれで合計2時間ぐらいでしょうか。後はipadでのお絵かきその他。外出時は必ずiPhone携帯します。iPhoneとiPadを使ってのKindle小説類が2時間ぐらいでしょうか。

 もうひとつ貴重な情報源があります。毎晩8時15分ごろから、姪が用意してくれた「入浴・顔剃り」が日課になっています。そしてその後、姪が私の肌荒れ・乾燥肌などの手当をしてくれます。その後20~30分雑談をします。これが私にとっての唯一の会話です。2年前に妻を亡くしてからは、一部屋一人住まい、三食自炊、で特別のことが無い限り会話相手がいません。「デイサービス」に出かけても「補聴器」を掛けていてもうまく「日常会話」が成り立たないので会話無し。(雑談が出来ないことは辛いことです)

 この20〜30分の雑談は「姪」が、明瞭でゆっくり発音してくれるので、(補聴器は必要ですが)ほとんど問題無く「会話」が進みます。ここでは彼女の娘・息子(もうとっくに別所帯を持っている)やその子(孫)たちとの長い子育て経験や、最近の情報などがときどき「話題」にのぼります。先にも書きましたが、若い世代との触れ合いは「貴重な情報源」です。間接的ですがこんな事を通じて「今どき」の世の中の考え方や生活態度が判り、有り難いことだと思っています。

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