【海外旅行】1980年〜81年スペイン・ナバラ・ロマネスク紀行(1)
1980年12月27日から1981年1月4日までの「ほあぐら/とりゅふ夫妻」との第二回目の「ロマネスク探訪記」です。
残念ながら、この頃は準備には100枚以上の資料を作り「どこへ行って・何を見るか・それはどんなものか?」というのを。日本語の参考書はもとより英語フランス語の資料を翻訳、写真はコピーかポンチ絵スケッチなどで、見逃しがないように万端の準備をしていったのですが。旅日記は書いてなかったので、そして写真も「ほあぐら」さんのアルバムしか残っていないのです。私も何百枚も撮っているのですが、フィルムカメラ時代なので、数枚の写真は印画で残っていますが、あとは皆、捨ててしまって残っていません。そんなわけで、あまり旅日記の体裁は整いませんが、「ロマネスク写真集」と思って御付き合いください。
「スペイン:ナヴァラ」という地方は、「牛追い祭り」で有名なパンプローナ(Pamplona)を州都とする、スペイン東北部の州名である。またかっては「ナヴァラ王国」があった、北部にはバスク人が住んでおり、バスク人はフランス領にもいる。
赤く塗った部分がナヴァラ州、現地での宿泊した町。ただし「サンセバスチアン」は夜行列車出発地。
予定表と「ほあぐらさん」の写真アルバムが頼りです。実は妻が撮影した「ビデオ」が「DVD」(42分)があるのですが、当時字幕を入れる技術がなく映像だけだけしかなくて、何処が何処やら判りません。
この時はお勤めの関係で、妻は12月21日出発「JALパックマイプランパリ15日間」というので先発。「ほあぐら/とりゅふ夫妻」も12月26日発「JALマイプランパリ10日」でパリで合流してマッドリッドへ……。この頃は格安航空券だけの入手は難しく「パリのホテル宿泊付きのプラン(Concord La Fayette)」で中の宿泊権を放棄して、その先を別に旅行社に頼んで航空券・宿泊手配をして貰うという段取りでした。レンタカーや汽車の切符は個人手配です。私は一番遅く、12月27日発「ルック・パリ・パーソナル9」というので「パリからスペインブルゴスへ飛び、そこで彼等と合流。帰りは同一日、同一便で1月3日パリ発日本へ……という予定です。(私のパリの宿はNIKKO-DE-PARIS)。
この時は、海外旅行経験12〜3回目ということで、こんな計画になりました。
以前にも書きましたが、この時、妻は1人でパリに5泊して、近くの美術専門書店で、ロマネスク叢書「ゾディアック」(2×12冊)の購入をしたのでした。最終日にスーツケースにわけて持ち帰りました。この頃は東京「丸善」に何冊かあって購入していたのですが、これで一気に蔵書が増えました。この後はゾディアック社(フランス)に直接注文、そして毎年2冊の続巻予約注文で揃えていったのです。
【第0日】1980年12月26日(金)
「ほあぐら/とりゅふ夫妻」成田出発パリへ。妻、パリ滞在中。ろまねこ(私)会社勤務中。
【第1日】1980年12月27日(土) レート:¥45/FF(フランスフラン)、¥2.7/PTS(スペインペセタ)
「ほあぐら/とりゅふ夫妻」と妻は合流して、パリからスペインマドリッドへ、そこでレンタカーを借りで「アヴィラ(AVILA)」へ。ホテル「パラチオ・ヴァルデラバノス(PALACIO VALDERRABANOS)」泊。
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私ろまねこは、21:00成田発エールフランス273便で、パリへ出発。機中泊。
【第2日】1980年12月28日(日)
「ほあぐら/とりゅふ夫妻」と妻は、アヴィラの観光。挿絵は「ほあぐら」さんの写真アルバムにあった「アヴィラの地図」。
街を取り囲む城壁の一部。
カテドラルはゴシックなのでパスしたらしく、写真が残っていません。もう一つの教会「サン・ヴィセンテ(San Vicente)」は下部はロマネスク、上部はゴシック。南側外部にアーケードがあります。
身廊、天井部はゴシックですが、両サイドのアーチはロマネスク、美しい。
西扉口。
この日つづく……
残念ながら、この頃は準備には100枚以上の資料を作り「どこへ行って・何を見るか・それはどんなものか?」というのを。日本語の参考書はもとより英語フランス語の資料を翻訳、写真はコピーかポンチ絵スケッチなどで、見逃しがないように万端の準備をしていったのですが。旅日記は書いてなかったので、そして写真も「ほあぐら」さんのアルバムしか残っていないのです。私も何百枚も撮っているのですが、フィルムカメラ時代なので、数枚の写真は印画で残っていますが、あとは皆、捨ててしまって残っていません。そんなわけで、あまり旅日記の体裁は整いませんが、「ロマネスク写真集」と思って御付き合いください。
「スペイン:ナヴァラ」という地方は、「牛追い祭り」で有名なパンプローナ(Pamplona)を州都とする、スペイン東北部の州名である。またかっては「ナヴァラ王国」があった、北部にはバスク人が住んでおり、バスク人はフランス領にもいる。
赤く塗った部分がナヴァラ州、現地での宿泊した町。ただし「サンセバスチアン」は夜行列車出発地。
予定表と「ほあぐらさん」の写真アルバムが頼りです。実は妻が撮影した「ビデオ」が「DVD」(42分)があるのですが、当時字幕を入れる技術がなく映像だけだけしかなくて、何処が何処やら判りません。
この時はお勤めの関係で、妻は12月21日出発「JALパックマイプランパリ15日間」というので先発。「ほあぐら/とりゅふ夫妻」も12月26日発「JALマイプランパリ10日」でパリで合流してマッドリッドへ……。この頃は格安航空券だけの入手は難しく「パリのホテル宿泊付きのプラン(Concord La Fayette)」で中の宿泊権を放棄して、その先を別に旅行社に頼んで航空券・宿泊手配をして貰うという段取りでした。レンタカーや汽車の切符は個人手配です。私は一番遅く、12月27日発「ルック・パリ・パーソナル9」というので「パリからスペインブルゴスへ飛び、そこで彼等と合流。帰りは同一日、同一便で1月3日パリ発日本へ……という予定です。(私のパリの宿はNIKKO-DE-PARIS)。
この時は、海外旅行経験12〜3回目ということで、こんな計画になりました。
以前にも書きましたが、この時、妻は1人でパリに5泊して、近くの美術専門書店で、ロマネスク叢書「ゾディアック」(2×12冊)の購入をしたのでした。最終日にスーツケースにわけて持ち帰りました。この頃は東京「丸善」に何冊かあって購入していたのですが、これで一気に蔵書が増えました。この後はゾディアック社(フランス)に直接注文、そして毎年2冊の続巻予約注文で揃えていったのです。
【第0日】1980年12月26日(金)
「ほあぐら/とりゅふ夫妻」成田出発パリへ。妻、パリ滞在中。ろまねこ(私)会社勤務中。
【第1日】1980年12月27日(土) レート:¥45/FF(フランスフラン)、¥2.7/PTS(スペインペセタ)
「ほあぐら/とりゅふ夫妻」と妻は合流して、パリからスペインマドリッドへ、そこでレンタカーを借りで「アヴィラ(AVILA)」へ。ホテル「パラチオ・ヴァルデラバノス(PALACIO VALDERRABANOS)」泊。
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私ろまねこは、21:00成田発エールフランス273便で、パリへ出発。機中泊。
【第2日】1980年12月28日(日)
「ほあぐら/とりゅふ夫妻」と妻は、アヴィラの観光。挿絵は「ほあぐら」さんの写真アルバムにあった「アヴィラの地図」。
街を取り囲む城壁の一部。
カテドラルはゴシックなのでパスしたらしく、写真が残っていません。もう一つの教会「サン・ヴィセンテ(San Vicente)」は下部はロマネスク、上部はゴシック。南側外部にアーケードがあります。
身廊、天井部はゴシックですが、両サイドのアーチはロマネスク、美しい。
西扉口。
この日つづく……
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