【海外旅行】1979年〜80年初ロマネスク探訪4人旅(11/13)
【第7日】1980年1月3日(木) ソーリュー→フォントネー→アヴァロン→ヴェズレー→レ・ザール 日出:08:30。日没:17:07。FF1=¥60。
今日も晴。ホテル8:30出発。ここ「ソーリュー(Saulieu)」の「サンタンドッシュ教会(Basilique St-Andoche )」。ここも柱頭が素晴らしい。「外観」(エハガキ)。
ロマネスクの建築を基礎にして上部や祭室はゴシックに改造されている。
柱頭「我に触れるな」(墓から復活したイエスがマグダラのマリアに「私に触れてはならない。まだ父の御許に上っていないのだから」と告げる聖書の場面)。
柱頭「キリストの誘惑」(キリストが悪魔の誘惑を退けた新約聖書のエピソード)。
柱頭「ロバで行くバルナバ」(パウロの宣教旅行に同行した人)。
柱頭「葉文様」。
9:20「ソーリュー」を離れ、北上50km。「マルマーニュ(Marmagne)」という町からから脇道に入り、森の中を5分、人里離れた閑静なところに、それはありました。「フォントネー・旧シトー会修道院(Fontenay Ancienne Abbaye Cistercienne)」。
10:20に到着しましたが、11:00からのガイドツアー。門の外で待たされました。
挿絵は後日、水彩画を習ったときの「習作」です。真後ろに修道院があるのです。水があって素晴らしい環境ですが、シンシンと冷えてきて、辛い待ち時間でした。
注)フォントネー・旧シトー会修道院:12世紀に修道士「聖ベルナール・クレヴォー( St-Bernard Clairvaux)」 が創建したシトー派の修道院です。フランス革命によって修道士たちは追い払われ、一時は製紙工場になりました。その後、エナール家が管理し、今日では簡素なロマネスク様式建造物の全体が見事に修復されています。1981年「世界遺産」に登録されました。
注の注)シトー会(派):「クリュニー修道院」は、堕落した従来の修道院に対して反旗を翻し、清貧と神への献身と厳しい自己鍛錬を信仰の柱とする修道院運動を起こしましたが、時がたつにつれ、従来の目的を忘れて富を蓄え、世俗的な享楽にふける修道院が増えてきました。それに対して再び起こった修道院改革運動の中心となったのがシトー派でした。「ベネディクトゥスの会則」の厳格な励行、粗衣粗食の質素な生活、荒地の開墾作業などによる霊性の復興をめざしました。
身廊。
唯一例外の彫像「聖母子像」。
回廊。
柱頭彫刻。
グリザイユと呼ばれる 無色の「ステンドグラス」。色が見えるのは外の景色。
鍛冶場として使われていた建物。
教会堂の西の入口、三廊式の身廊、翼廊、方形の祭室などには一切の彫刻などの装飾は見られず、回廊を含む柱頭彫刻もシンプル、随所に湧水や噴水があり、この地がいかに浄化された聖地であったかがうかがわれ、シトー派の「簡素な美しさ」をたっぷりと味わう事が出来ました。
この日つづく……
今日も晴。ホテル8:30出発。ここ「ソーリュー(Saulieu)」の「サンタンドッシュ教会(Basilique St-Andoche )」。ここも柱頭が素晴らしい。「外観」(エハガキ)。
ロマネスクの建築を基礎にして上部や祭室はゴシックに改造されている。
柱頭「我に触れるな」(墓から復活したイエスがマグダラのマリアに「私に触れてはならない。まだ父の御許に上っていないのだから」と告げる聖書の場面)。
柱頭「キリストの誘惑」(キリストが悪魔の誘惑を退けた新約聖書のエピソード)。
柱頭「ロバで行くバルナバ」(パウロの宣教旅行に同行した人)。
柱頭「葉文様」。
9:20「ソーリュー」を離れ、北上50km。「マルマーニュ(Marmagne)」という町からから脇道に入り、森の中を5分、人里離れた閑静なところに、それはありました。「フォントネー・旧シトー会修道院(Fontenay Ancienne Abbaye Cistercienne)」。
10:20に到着しましたが、11:00からのガイドツアー。門の外で待たされました。
挿絵は後日、水彩画を習ったときの「習作」です。真後ろに修道院があるのです。水があって素晴らしい環境ですが、シンシンと冷えてきて、辛い待ち時間でした。
注)フォントネー・旧シトー会修道院:12世紀に修道士「聖ベルナール・クレヴォー( St-Bernard Clairvaux)」 が創建したシトー派の修道院です。フランス革命によって修道士たちは追い払われ、一時は製紙工場になりました。その後、エナール家が管理し、今日では簡素なロマネスク様式建造物の全体が見事に修復されています。1981年「世界遺産」に登録されました。
注の注)シトー会(派):「クリュニー修道院」は、堕落した従来の修道院に対して反旗を翻し、清貧と神への献身と厳しい自己鍛錬を信仰の柱とする修道院運動を起こしましたが、時がたつにつれ、従来の目的を忘れて富を蓄え、世俗的な享楽にふける修道院が増えてきました。それに対して再び起こった修道院改革運動の中心となったのがシトー派でした。「ベネディクトゥスの会則」の厳格な励行、粗衣粗食の質素な生活、荒地の開墾作業などによる霊性の復興をめざしました。
身廊。
唯一例外の彫像「聖母子像」。
回廊。
柱頭彫刻。
グリザイユと呼ばれる 無色の「ステンドグラス」。色が見えるのは外の景色。
鍛冶場として使われていた建物。
教会堂の西の入口、三廊式の身廊、翼廊、方形の祭室などには一切の彫刻などの装飾は見られず、回廊を含む柱頭彫刻もシンプル、随所に湧水や噴水があり、この地がいかに浄化された聖地であったかがうかがわれ、シトー派の「簡素な美しさ」をたっぷりと味わう事が出来ました。
この日つづく……
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