【海外旅行】1979年〜80年初ロマネスク探訪4人旅(9/13)
【第6日】1980年1月2日(水) パレルモニアル→クリュニー→シャペーズ→トゥールニュ→オータン→ソーリュー 日出:08:27。日没:17:04。FF1=¥60。
昨日は「小さな教会」巡りでしたが、今日は大物の「クリュニー」「トゥールニュ」「オータン」が待っています。前夜雪が降ったようですが、今朝は快晴です。
8:15出発。N79号を東へ。「シャロル(Charolles)」の町を過ぎる頃、正面に日が昇る。沿道の丘陵は雪景色。丘を越えて牧場が続く。結構トラックが走っている(初荷?)。2頭立ての馬車。日本では見られない。客車か荷馬車か?
55km……9:25「クリュニー修道院(Abbaye de Cluny)」の塔が見えて来る。ここまで来るともう雪はない。
注)クリュニー修道院:909‐910年に,アキテーヌ公ギヨーム1世によって建設された修道院で、11世紀に、ベネティクト派の質素で規則正しい修道士の生活を復活させる「クリュニーの改革」とよばれた修道院改革の中心となった。最盛期には管轄下におく修道院1200、修道士2万を数えた。またその典礼の壮麗なことでも知られた。しかし巨大な組織となるとともに次第に祈祷などの典礼が主となって、修道院としての清貧は失われ、13世紀には衰退した。
聖堂は1期、2期、3期と増改築を繰り返し、第3期のものは1088年から1130年に掛けて建設され、長さが約190m、高さが約40mという巨大なものであった。(ちなみにパリのノートルダム大聖堂は長さが約130m)ロマネスク様式の建築様式の代表例とされ、18世紀までその勇姿をとどめていたが、フランス革命に際して大部分が破壊され、その後は荒廃し、現存するのはその一部の翼廊の塔の部分のみである。
第3期の平面図。
残存部内部。
外から「聖水の鐘楼」と呼ばれている。
回廊。
別の所に「柱頭」が保存展示されていました。
「春」
「徳」
「原罪」
「イサクの犠牲」
11:05出発。「ソーヌ川(la Saône)」につながる「グロヌス川(la Grosne)」に沿って北上。
グロヌス川。この流れも「土手」がありません。「小川」という感じですが全長は96.7km。
途中、丘の上にフランスらしい「城館(シャトー/Château)」が見えました。
11:30~12:00「シャペーズ(Chapaize)」も「バシリカ様式三廊」の小さな教会ですが、素晴らしい教会でした。
再び「ほあぐら」さんの記述です……
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トゥールニュの町の西に有る牧草地と雑木林に囲まれたいかにも牧歌的な小さい集落だが、村の中心に建つ11世紀の聖マルタン教会(Église Saint-Martin)を見逃してはならない。
先ず私は教会の背後に隣接した墓地に廻り、そこからすっくと伸びる鐘楼と大小三つの祭室の外陣を眺めた。それは楚々とした質素な佇まいだったが、あらゆる無駄を省いた典型的なブルゴーニュのロマネスクだった。
教会堂の建築全体の立ち姿が、かくも優雅にバランスのとれた事例は余り無いだろう。
内陣に入って驚くべき事は、側廊と身廊を仕切る石の柱の太さである。トゥールニュの大聖堂のものとほぼ同じ太さだが、この礼拝堂とも言えそうな小空間では異常な程の量感である。
トゥールニュと共に、初期ロマネスクの豪壮な力強さを感じさせる事例である。(写真は側廊部)
森が途切れた草原の向こうに静かに立つこの教会の塔の姿は、旅の忘れ難い光景の一つとして必ずや心に残る筈である。
-------------(ほあぐらさんの記述終了)-------------------
シャペーズから東へ20km……途中「ブランシオン(Brancion)」に「ロマネスク」の「聖ピエール教会(Église St-Pierre)」と「城跡」があったのですが時間の関係で、今回はパス……(1991年に訪れました。その時のスケッチ画)
この日つづく……
昨日は「小さな教会」巡りでしたが、今日は大物の「クリュニー」「トゥールニュ」「オータン」が待っています。前夜雪が降ったようですが、今朝は快晴です。
8:15出発。N79号を東へ。「シャロル(Charolles)」の町を過ぎる頃、正面に日が昇る。沿道の丘陵は雪景色。丘を越えて牧場が続く。結構トラックが走っている(初荷?)。2頭立ての馬車。日本では見られない。客車か荷馬車か?
55km……9:25「クリュニー修道院(Abbaye de Cluny)」の塔が見えて来る。ここまで来るともう雪はない。
注)クリュニー修道院:909‐910年に,アキテーヌ公ギヨーム1世によって建設された修道院で、11世紀に、ベネティクト派の質素で規則正しい修道士の生活を復活させる「クリュニーの改革」とよばれた修道院改革の中心となった。最盛期には管轄下におく修道院1200、修道士2万を数えた。またその典礼の壮麗なことでも知られた。しかし巨大な組織となるとともに次第に祈祷などの典礼が主となって、修道院としての清貧は失われ、13世紀には衰退した。
聖堂は1期、2期、3期と増改築を繰り返し、第3期のものは1088年から1130年に掛けて建設され、長さが約190m、高さが約40mという巨大なものであった。(ちなみにパリのノートルダム大聖堂は長さが約130m)ロマネスク様式の建築様式の代表例とされ、18世紀までその勇姿をとどめていたが、フランス革命に際して大部分が破壊され、その後は荒廃し、現存するのはその一部の翼廊の塔の部分のみである。
第3期の平面図。
残存部内部。
外から「聖水の鐘楼」と呼ばれている。
回廊。
別の所に「柱頭」が保存展示されていました。
「春」
「徳」
「原罪」
「イサクの犠牲」
11:05出発。「ソーヌ川(la Saône)」につながる「グロヌス川(la Grosne)」に沿って北上。
グロヌス川。この流れも「土手」がありません。「小川」という感じですが全長は96.7km。
途中、丘の上にフランスらしい「城館(シャトー/Château)」が見えました。
11:30~12:00「シャペーズ(Chapaize)」も「バシリカ様式三廊」の小さな教会ですが、素晴らしい教会でした。
再び「ほあぐら」さんの記述です……
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トゥールニュの町の西に有る牧草地と雑木林に囲まれたいかにも牧歌的な小さい集落だが、村の中心に建つ11世紀の聖マルタン教会(Église Saint-Martin)を見逃してはならない。
先ず私は教会の背後に隣接した墓地に廻り、そこからすっくと伸びる鐘楼と大小三つの祭室の外陣を眺めた。それは楚々とした質素な佇まいだったが、あらゆる無駄を省いた典型的なブルゴーニュのロマネスクだった。
教会堂の建築全体の立ち姿が、かくも優雅にバランスのとれた事例は余り無いだろう。
内陣に入って驚くべき事は、側廊と身廊を仕切る石の柱の太さである。トゥールニュの大聖堂のものとほぼ同じ太さだが、この礼拝堂とも言えそうな小空間では異常な程の量感である。
トゥールニュと共に、初期ロマネスクの豪壮な力強さを感じさせる事例である。(写真は側廊部)
森が途切れた草原の向こうに静かに立つこの教会の塔の姿は、旅の忘れ難い光景の一つとして必ずや心に残る筈である。
-------------(ほあぐらさんの記述終了)-------------------
シャペーズから東へ20km……途中「ブランシオン(Brancion)」に「ロマネスク」の「聖ピエール教会(Église St-Pierre)」と「城跡」があったのですが時間の関係で、今回はパス……(1991年に訪れました。その時のスケッチ画)
この日つづく……
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