【海外旅行】1979年〜80年初ロマネスク探訪4人旅(6/13)
【第5日】1980年1月1日(火) コンドリュー→ヴィエンヌ→シャルリュー→サン・ジュリアン・ド・ジョンジイ→スミュール・アン・ブリオネ→ニュイリー・アン・ドンジョン→アンジー・ル・デュック→モンソー・レトワール→パレルモニアル 日出:08:20。日没:17:06。FF1=¥60。
明けて、元旦です。快晴。風もなし。
7:45 ホテルをチェックアウト。まだ薄暗い。またローヌに沿って北上。夜が明けてきます。大きい町「ヴィエンヌ(Vienne)」に入ります。町の鼓笛隊が準備しているのを見掛けました。ニューイヤーパレードでもあるのでしょうか?フランス語が出来ないので、尋ねることは出来ませんでした。
「カテドラル・サンモーリス(Cathédrale Saint-Maurice)」はロマネスク様式で、1130-1170年の頃に建てられましたが、13世紀にはゴシック様式での再建が始まり、最終的には1529年に完了しました。西側のファサード部分は建物の中で最も新しい部分です。
内部には柱頭彫刻を含めて「ロマネスク」が見られるはずでしたが、元日の朝は閉まっていました。残念でした。
「旧ペテロ教会(Ancienne Église Saint-Pierre)」。ここは変わった構造で、「玄関廊/ナルテックス(Narthex)」の上に「鐘楼」が建っています。これは「ロマネスク」。ここも外観のみ。
「聖アンドレ下方教会 (Église Saint-André-le-Bas)」。ここは正面入口回りは「ロマネスク・アーチ」。上の方は「とんがりアーチ」のゴシック「ステンドグラス窓」と、建物側面にはゴシックの特徴「飛び控え壁(斜めのつっかい棒=フライング・バットレス)」が見えます。
このように「ロマネスクの技術」で始まった建築が途中から、より進歩した「ゴシックの建築技術」を取り入れ、設計変更や改造が行われている例は沢山あります。
それに比べ、田舎の小さい教会堂では「ロマネスク」で完成し、その後資金も無いまま、現在に至っているのが多くあります。これから尋ねる「ブリオネ(Brionnais)」の村々が楽しみです。
注)ブリオネ:ブルゴーニュの南に位置する、小さな地域の古くからの名称です。
8:45「ヴィエンヌ」を離れ、すぐ北には大都市「リヨン(Lyon)」があるのですが、それを避けて西の「サン・テチエンヌ(Saint-Étienne)」の郊外をかすめて北上。約160km 2時間25分の長距離ドライブです。「サン・テチエンヌ」では「新しい郊外住宅群」が見られました、路端には残雪が見られます。
ここまでは「ローヌ川」沿いでしたが、今度は「ロワール川」沿いになります。
注)ローヌ川:スイス中部の「ローヌ氷河」源流からレマン湖を通り、フランスに入った後、リヨンでソーヌ川と合流し、南へ流れを変えプロヴァンス地方を通り、アルル付近で二手に分かれカマルグ(三角州地帯)を作り地中海へ流れ出ます。
注)ロアール川:フランスの中央高地に源を発し、北流しフランスの中央部を流れ、オルレアン付近から西に流れ、ブルターニュ半島の南の付け根あたりで大西洋に注ぐ。長さ1,012km。
10:45「シャルリュー(Charlieu)」の「旧ベネディクト派大修道院(Ancienne Abbaye Bénédictine)」。教会は1094年に奉献されました。 北面玄関間の主扉口の彫刻は傑作といわれています。外観。
タンパンは例によって「四福音書家のシンボルで囲まれた栄光のキリスト」です。両側には聖ヨハネの黙示録の老人が踊り、フィドルを演奏しています。24のロゼット(花形装飾文様)は正確な数を象徴し、黙示録の子羊が構図を冠しています。子羊の拡大。
まぐさ石は、中央に二人の天使に守られた聖母マリア、両側には十二使徒。こんなに精細な彫刻が残されているのですが、顔の部分が(イスラムによって?)破壊されているのが残念です。
北正面、主扉口右の小扉口のタンパンとまぐさ石。
タンパンは「カナの饗宴」、まぐさ石は「古代の供犠」。ここも閉まっていました。
私達が借りている「オペル・レコード(OPEL REKORD)20S」です。
街角情景……息子さんが新年の挨拶に来て母親をハグしてキスしているところ。(想像ですが)
この街の「カフェ・リオン・ドール(金獅子)」で昼食。
12:40 シャルリューをあとにして、この先「ブリオネ」地方の「小教会」がつづきます
この日つづく……
明けて、元旦です。快晴。風もなし。
7:45 ホテルをチェックアウト。まだ薄暗い。またローヌに沿って北上。夜が明けてきます。大きい町「ヴィエンヌ(Vienne)」に入ります。町の鼓笛隊が準備しているのを見掛けました。ニューイヤーパレードでもあるのでしょうか?フランス語が出来ないので、尋ねることは出来ませんでした。
「カテドラル・サンモーリス(Cathédrale Saint-Maurice)」はロマネスク様式で、1130-1170年の頃に建てられましたが、13世紀にはゴシック様式での再建が始まり、最終的には1529年に完了しました。西側のファサード部分は建物の中で最も新しい部分です。
内部には柱頭彫刻を含めて「ロマネスク」が見られるはずでしたが、元日の朝は閉まっていました。残念でした。
「旧ペテロ教会(Ancienne Église Saint-Pierre)」。ここは変わった構造で、「玄関廊/ナルテックス(Narthex)」の上に「鐘楼」が建っています。これは「ロマネスク」。ここも外観のみ。
「聖アンドレ下方教会 (Église Saint-André-le-Bas)」。ここは正面入口回りは「ロマネスク・アーチ」。上の方は「とんがりアーチ」のゴシック「ステンドグラス窓」と、建物側面にはゴシックの特徴「飛び控え壁(斜めのつっかい棒=フライング・バットレス)」が見えます。
このように「ロマネスクの技術」で始まった建築が途中から、より進歩した「ゴシックの建築技術」を取り入れ、設計変更や改造が行われている例は沢山あります。
それに比べ、田舎の小さい教会堂では「ロマネスク」で完成し、その後資金も無いまま、現在に至っているのが多くあります。これから尋ねる「ブリオネ(Brionnais)」の村々が楽しみです。
注)ブリオネ:ブルゴーニュの南に位置する、小さな地域の古くからの名称です。
8:45「ヴィエンヌ」を離れ、すぐ北には大都市「リヨン(Lyon)」があるのですが、それを避けて西の「サン・テチエンヌ(Saint-Étienne)」の郊外をかすめて北上。約160km 2時間25分の長距離ドライブです。「サン・テチエンヌ」では「新しい郊外住宅群」が見られました、路端には残雪が見られます。
ここまでは「ローヌ川」沿いでしたが、今度は「ロワール川」沿いになります。
注)ローヌ川:スイス中部の「ローヌ氷河」源流からレマン湖を通り、フランスに入った後、リヨンでソーヌ川と合流し、南へ流れを変えプロヴァンス地方を通り、アルル付近で二手に分かれカマルグ(三角州地帯)を作り地中海へ流れ出ます。
注)ロアール川:フランスの中央高地に源を発し、北流しフランスの中央部を流れ、オルレアン付近から西に流れ、ブルターニュ半島の南の付け根あたりで大西洋に注ぐ。長さ1,012km。
10:45「シャルリュー(Charlieu)」の「旧ベネディクト派大修道院(Ancienne Abbaye Bénédictine)」。教会は1094年に奉献されました。 北面玄関間の主扉口の彫刻は傑作といわれています。外観。
タンパンは例によって「四福音書家のシンボルで囲まれた栄光のキリスト」です。両側には聖ヨハネの黙示録の老人が踊り、フィドルを演奏しています。24のロゼット(花形装飾文様)は正確な数を象徴し、黙示録の子羊が構図を冠しています。子羊の拡大。
まぐさ石は、中央に二人の天使に守られた聖母マリア、両側には十二使徒。こんなに精細な彫刻が残されているのですが、顔の部分が(イスラムによって?)破壊されているのが残念です。
北正面、主扉口右の小扉口のタンパンとまぐさ石。
タンパンは「カナの饗宴」、まぐさ石は「古代の供犠」。ここも閉まっていました。
私達が借りている「オペル・レコード(OPEL REKORD)20S」です。
街角情景……息子さんが新年の挨拶に来て母親をハグしてキスしているところ。(想像ですが)
この街の「カフェ・リオン・ドール(金獅子)」で昼食。
12:40 シャルリューをあとにして、この先「ブリオネ」地方の「小教会」がつづきます
この日つづく……
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