【海外旅行】1986~87年ピレネー・ロマネスク10日間の旅(1/10)
この旅は「サン・プランカール」のおばさんと文通が始まるというきっかけがあった「格別」の旅でした。「ほあぐら/とりゅふ夫妻」との4人旅です。メモがほとんど残っていないのですが、写真アルバムに多くの文章が付いていましたので、これらを頼りにまとめてみます。例の「ポンチ絵」は風景人物のみで、あとは「ロマネスク写真集」だと思ってお付き合いください。
フランスとスペインの国境が「ピレネー山脈」。その北側の麓を地中海側から、大西洋岸まで「ロマネスクの教会」を訪ねる旅です。
宿泊地点の地図です。
1988年にT社を退社しましたので、この時は未だ現役中です。やはり年末年始休暇の10日間、目一杯の旅です。夫59歳、妻60歳。マ、元気盛りでした。
【第1日】1986年12月26日(金) 東京小金井→成田→機中 成田:日没:16:31。FF1=¥26。
22:30 成田発日本航空JL423便パリ行き直行便。
【第2日】1986年12月27日(土) 機中→パリ→ペルピニャン→ブールー 日没:17:22。FF1=¥26。
9:35 パリ・シャルル・ド・ゴール空港着、オルリー空港まで連絡バス。15:30エールアンテール(Air Inter)(フランス国内便)IT6333便、約1時間でスペイン国境に近いペルピニャン(Perpignan)に16:38到着。
小雨模様。レンタカー・ハーツでルノー25GTSを借り、17:31 宿泊地ブールー(le Boulou)に向かう。宿は「ルレ・デ・シャルトルーズ(Relais des Chartreuses)」。
18:10着。思いがけない山の中のホテルでした。永年パリのホテルで働いていた夫妻が何匹かの犬と暮らしている。今までに日本人は10人ほど宿泊したそうで、場所柄もう少し多いかと思いましたが、いささか意外な感じ。夕食は軽く「ユイトール(牡蠣)」と「オマール(海老)」。
【第3日】1986年12月28日(日) ブールー→ヴィルフランシュ・ド・コンフラン 日出:08:18 日没:17:24。FF1=¥26。
9:00 フラノール着。この教会は、ルション・ロマネスクのフレスコが完全な形で残されている。残念ながら開館時間は月曜を除く15:00~17:00。時間の都合であきらめました。(後日見学の機会がありました)。
フラノールから「アルル・シュール・テッシュ」に向かう途中、テッシュ川にかかる14世紀の橋を渡る。
11世紀の「アルル・シュール・テッシュ教会」ファサード扉口。
同タンパン中央の十字架彫刻。中央がキリスト、四方に「福音書記者」のシンボル。
この日つづく……
フランスとスペインの国境が「ピレネー山脈」。その北側の麓を地中海側から、大西洋岸まで「ロマネスクの教会」を訪ねる旅です。
宿泊地点の地図です。
1988年にT社を退社しましたので、この時は未だ現役中です。やはり年末年始休暇の10日間、目一杯の旅です。夫59歳、妻60歳。マ、元気盛りでした。
【第1日】1986年12月26日(金) 東京小金井→成田→機中 成田:日没:16:31。FF1=¥26。
22:30 成田発日本航空JL423便パリ行き直行便。
【第2日】1986年12月27日(土) 機中→パリ→ペルピニャン→ブールー 日没:17:22。FF1=¥26。
9:35 パリ・シャルル・ド・ゴール空港着、オルリー空港まで連絡バス。15:30エールアンテール(Air Inter)(フランス国内便)IT6333便、約1時間でスペイン国境に近いペルピニャン(Perpignan)に16:38到着。
小雨模様。レンタカー・ハーツでルノー25GTSを借り、17:31 宿泊地ブールー(le Boulou)に向かう。宿は「ルレ・デ・シャルトルーズ(Relais des Chartreuses)」。
18:10着。思いがけない山の中のホテルでした。永年パリのホテルで働いていた夫妻が何匹かの犬と暮らしている。今までに日本人は10人ほど宿泊したそうで、場所柄もう少し多いかと思いましたが、いささか意外な感じ。夕食は軽く「ユイトール(牡蠣)」と「オマール(海老)」。
【第3日】1986年12月28日(日) ブールー→ヴィルフランシュ・ド・コンフラン 日出:08:18 日没:17:24。FF1=¥26。
9:00 フラノール着。この教会は、ルション・ロマネスクのフレスコが完全な形で残されている。残念ながら開館時間は月曜を除く15:00~17:00。時間の都合であきらめました。(後日見学の機会がありました)。
フラノールから「アルル・シュール・テッシュ」に向かう途中、テッシュ川にかかる14世紀の橋を渡る。
11世紀の「アルル・シュール・テッシュ教会」ファサード扉口。
同タンパン中央の十字架彫刻。中央がキリスト、四方に「福音書記者」のシンボル。
この日つづく……
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