【海外旅行】1998年チュニジア8日間(4/11)
◎すぐ南に向かう
第2日 1998年2月12日(木)のつづき
チュニス空港では、まず通貨両替。さていくら替えればイイのか?3食付きだし、自由行動もそれほどないようだ。オプションも無さそう。物価は10分の1くらいで、土産ものも安いとか。
出国時の再両替は両替証明の3分の1までだから、沢山余ると大変。チュニス空港の免税店では「チュニス通貨」は駄目と、変な国。
1人1万円替える人も居たが、当方は2人でとりあえず30ドルだけ替えて、様子を見ることにしたが、これはちょっと少なすぎた。
食事どきの飲み物代と馬車のオプショナルなどで、結局滞在中に追加40ドルと、VISAでキャッシング40ディナール(約35ドル/¥4500)で、計100ドル強の両替となった。
1チュニジア・ディナールは114円くらいである。ディナールの下の通貨はミリームで、1000ミリームが1ディナール。
正午頃、55人乗りのバス(ボルボで車の調子は良かった)に乗り込み、ガイドさんは現地の独身女性、ワディアさん。英語でのガイドで、添乗員が通訳という方式。
空港には日本人女性が現地旅行社の社員として出迎えがあったが、まだ日本人のガイドは居ないそうだ。勿論日本語の出来るガイドさんもいない。ワディアさんの場合、現地アラビア語とフランス語は当然ながら、英語とドイツ語のガイドの資格を持っている。
テュニジアでは小学4年生からフランス語を習い、中学では英・伊・スペイン語?のいずれかを選択するのだそうだ。
今フランス語を習っている私は、先生から「チュニジアでしっかりフランス語をしゃべっていらっしゃい」と言われていたので「ガイドさん」と少ししゃべってみたが、英語が出来る彼女とは、結局やさしい「英語」の方での会話になってしまうのであった。
チュニス空港がどこにあるやら、パリでもチュニス空港でも「地図」が買えなかった私はとても不安な感じ。団体旅行なんだから、現在地が判らなくても、バスに乗ってさえ居れば、ドウということはないのに、個人旅行のクセがついて、現在地が判らないと、とても不安。(^_^;)
バスはチュニス郊外の「ラグレット(La Goulette)」からチュニス湖を縦断する道路を通って、チュニスの町に入る。
注)後で見ると、こんな回り道。「チュニス湖」を見せたかったのか?
昼食は、「トマトをベースに少しピリ辛のいわゆるテュニジア風スープ(魚味がする)」と「スズキ?アジ?のようなお頭付き体長25cmの焼き魚」結構美味しく食べられました。
コーラはドライブインでは0.3ディナールくらい、きっと「スーパー」だと0.15くらいか?、しかしレストランでは最低1ディナール(¥110)だった。(その後高級ホテルでは2.5ディナール(¥270)と結構高い)
今日はカルタゴもチュニスも素通りで、一路南下。150キロ先の「ケルアン(Kairouan)」まで行くのだ。
途中「ザグアン(Zagouan)」という山の泉からカルタゴまで総延長120キロのローマ時代(2世紀)に造られた「水道橋」の程度良く残ったところを選んで、バスから降りて、写真撮影。
今迄「ローマの水道橋」には、幾度もお目にかかっているので、感激はない。
気がついたことは、地名のローマ字表記は殆ど「フランス語読み」で、ai=エ、ou=ウ、au=オ eu=エとウの中間音 と読めばいいようだ。
◎ケルアンに到着
このあたり内陸といっても北部なので、麦畑や牧草地、そして「オリーブ畑」が目立つ、樹齢は10年から20~30年と小振りである。ときどき桜か桃のような花をつけているのは「アーモンド」。春盛りとはいかないが、早春の野は美しく豊かだ。イチジク、ザクロもできるとのこと。
もっと南へ下ると、これが「ナツメヤシ」に変り、砂漠へと繋がって行く。
ちょっと意外だったのは、サボテンの多いこと。畑を囲むような形で多くのサボテンが赤い実をつけている。結構食料になっているのだそうだ。シャボテンは勿論中南米原産。アラビア語では「インデアン」というのだそうである。
挿絵は「オリーブ」と「サボテン」。
15時頃にトイレ休憩。所要時間4時間くらい、ケルアンの町に17時到着。
ここケルアンは、アラブ・イスラムの初期、671年、ウマイヤ朝の将軍「オクバ・イブン・ナファ」がこの地を北アフリカの前線基地として建設し、その後も長く都として栄えたところ。「ケルアン」とは「軍隊の基地」という意味。
町外れにある「貯水地」を見学。これは9世紀につくられた人造の池。周囲は立派な石造りで直径128mと34mの2つが対になっている。当時はこんなのが15も造られていたという。
あまりにも奇麗なので聞いてみたら、25年前に復元したものだった。
今夜の宿はこの「貯水地」のすぐ近く、「コンチネンタルホテル」★★★。17時30分ホテル着。長い旅路の果てである。
早速日本酒1合飲んで、夕食はホテルのレストランで19時30分から。ビュッフェ形式で、サラダも有り、パンはフランス風、チキン、ビーフと好みのものを取って食べられる。
飲み物は白ワイン・ハーフで7ディナール(チップ込み)(¥800)。以後、常にレストランではチップ込みいくらということで、本来のリストプライスは判らなかった。
デザートに、チュニジアの名物ケーキ「マクルード(Makrouds)」を食べて見る。ナツメヤシの実をアンコにはさんだクッキーのようなもの。外側は蜂蜜でベタベタしている、甘く美味しい。(何処の町でも多く売っていた)
この町では、この★★★ホテルが最高(インターネットでの情報)。シャワーのみと聞いていたが、バスタブ付きであったのは良かったが、大勢が一度に使ったせいか、湯がぬるく困った。でも、部屋の暖房が効いていて助かった。
22時就寝。
2月12日(木)の項終了。
第2日 1998年2月12日(木)のつづき
チュニス空港では、まず通貨両替。さていくら替えればイイのか?3食付きだし、自由行動もそれほどないようだ。オプションも無さそう。物価は10分の1くらいで、土産ものも安いとか。
出国時の再両替は両替証明の3分の1までだから、沢山余ると大変。チュニス空港の免税店では「チュニス通貨」は駄目と、変な国。
1人1万円替える人も居たが、当方は2人でとりあえず30ドルだけ替えて、様子を見ることにしたが、これはちょっと少なすぎた。
食事どきの飲み物代と馬車のオプショナルなどで、結局滞在中に追加40ドルと、VISAでキャッシング40ディナール(約35ドル/¥4500)で、計100ドル強の両替となった。
1チュニジア・ディナールは114円くらいである。ディナールの下の通貨はミリームで、1000ミリームが1ディナール。
正午頃、55人乗りのバス(ボルボで車の調子は良かった)に乗り込み、ガイドさんは現地の独身女性、ワディアさん。英語でのガイドで、添乗員が通訳という方式。
空港には日本人女性が現地旅行社の社員として出迎えがあったが、まだ日本人のガイドは居ないそうだ。勿論日本語の出来るガイドさんもいない。ワディアさんの場合、現地アラビア語とフランス語は当然ながら、英語とドイツ語のガイドの資格を持っている。
テュニジアでは小学4年生からフランス語を習い、中学では英・伊・スペイン語?のいずれかを選択するのだそうだ。
今フランス語を習っている私は、先生から「チュニジアでしっかりフランス語をしゃべっていらっしゃい」と言われていたので「ガイドさん」と少ししゃべってみたが、英語が出来る彼女とは、結局やさしい「英語」の方での会話になってしまうのであった。
チュニス空港がどこにあるやら、パリでもチュニス空港でも「地図」が買えなかった私はとても不安な感じ。団体旅行なんだから、現在地が判らなくても、バスに乗ってさえ居れば、ドウということはないのに、個人旅行のクセがついて、現在地が判らないと、とても不安。(^_^;)
バスはチュニス郊外の「ラグレット(La Goulette)」からチュニス湖を縦断する道路を通って、チュニスの町に入る。
注)後で見ると、こんな回り道。「チュニス湖」を見せたかったのか?
昼食は、「トマトをベースに少しピリ辛のいわゆるテュニジア風スープ(魚味がする)」と「スズキ?アジ?のようなお頭付き体長25cmの焼き魚」結構美味しく食べられました。
コーラはドライブインでは0.3ディナールくらい、きっと「スーパー」だと0.15くらいか?、しかしレストランでは最低1ディナール(¥110)だった。(その後高級ホテルでは2.5ディナール(¥270)と結構高い)
今日はカルタゴもチュニスも素通りで、一路南下。150キロ先の「ケルアン(Kairouan)」まで行くのだ。
途中「ザグアン(Zagouan)」という山の泉からカルタゴまで総延長120キロのローマ時代(2世紀)に造られた「水道橋」の程度良く残ったところを選んで、バスから降りて、写真撮影。
今迄「ローマの水道橋」には、幾度もお目にかかっているので、感激はない。
気がついたことは、地名のローマ字表記は殆ど「フランス語読み」で、ai=エ、ou=ウ、au=オ eu=エとウの中間音 と読めばいいようだ。
◎ケルアンに到着
このあたり内陸といっても北部なので、麦畑や牧草地、そして「オリーブ畑」が目立つ、樹齢は10年から20~30年と小振りである。ときどき桜か桃のような花をつけているのは「アーモンド」。春盛りとはいかないが、早春の野は美しく豊かだ。イチジク、ザクロもできるとのこと。
もっと南へ下ると、これが「ナツメヤシ」に変り、砂漠へと繋がって行く。
ちょっと意外だったのは、サボテンの多いこと。畑を囲むような形で多くのサボテンが赤い実をつけている。結構食料になっているのだそうだ。シャボテンは勿論中南米原産。アラビア語では「インデアン」というのだそうである。
挿絵は「オリーブ」と「サボテン」。
15時頃にトイレ休憩。所要時間4時間くらい、ケルアンの町に17時到着。
ここケルアンは、アラブ・イスラムの初期、671年、ウマイヤ朝の将軍「オクバ・イブン・ナファ」がこの地を北アフリカの前線基地として建設し、その後も長く都として栄えたところ。「ケルアン」とは「軍隊の基地」という意味。
町外れにある「貯水地」を見学。これは9世紀につくられた人造の池。周囲は立派な石造りで直径128mと34mの2つが対になっている。当時はこんなのが15も造られていたという。
あまりにも奇麗なので聞いてみたら、25年前に復元したものだった。
今夜の宿はこの「貯水地」のすぐ近く、「コンチネンタルホテル」★★★。17時30分ホテル着。長い旅路の果てである。
早速日本酒1合飲んで、夕食はホテルのレストランで19時30分から。ビュッフェ形式で、サラダも有り、パンはフランス風、チキン、ビーフと好みのものを取って食べられる。
飲み物は白ワイン・ハーフで7ディナール(チップ込み)(¥800)。以後、常にレストランではチップ込みいくらということで、本来のリストプライスは判らなかった。
デザートに、チュニジアの名物ケーキ「マクルード(Makrouds)」を食べて見る。ナツメヤシの実をアンコにはさんだクッキーのようなもの。外側は蜂蜜でベタベタしている、甘く美味しい。(何処の町でも多く売っていた)
この町では、この★★★ホテルが最高(インターネットでの情報)。シャワーのみと聞いていたが、バスタブ付きであったのは良かったが、大勢が一度に使ったせいか、湯がぬるく困った。でも、部屋の暖房が効いていて助かった。
22時就寝。
2月12日(木)の項終了。







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